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家庭用据え置き型ゲーム機の流れをテキストで長々と

1. アメリカから始まった家庭用ゲーム機の誕生と普及

世界初の家庭用テレビゲームは1972年にアメリカで発売されたオデッセイ*1。アタリがオデッセイのテーブルテニスを真似て作ったのがアーケードゲームであるポン*2で、世界で初めて一般に広く知れ渡ったビデオゲームとされる。ポンの元となったゲームが入っているということでオデッセイが売れたとも言われる。また、1975年にアタリは家庭用のホーム・ポンを発売した。
日本初の家庭用テレビゲームは1975年9月に発売された、エポック社のテレビテニス*3。中身はやはりテーブルテニスと同じ内容。定価は19,500円と高価。
1977年には任天堂がテレビゲーム15を発売。定価は15,000円。名前の通り15個のゲームを遊べるが中身は手を変え品を変えたテーブルテニスである。
一方アメリカでは、1975年末にGeneral Instrument社が4種類のゲームをプレイできるLSIを発売。これをきっかけに各社がLSIゲームを販売*4。また、電子工作の知識さえあればテレビゲームが作れた。日本では、1976年の夏ごろから秋葉原にてパーツ一式10,000円で手に入れられたそうである。そして、1976年には世界初のマイコン搭載家庭用ゲーム機である、CHANNEL F(当初はVideo Entertainment System)が170ドル*5で発売される。世界で初めてプログラミング可能なROMカートリッジを搭載した家庭用ゲーム機でもある。世界初の家庭用ゲーム機であるオデッセイが1972年に発売されてわずか4年でロムカートリッジにより様々なゲームを楽しむ事ができる第二世代の家庭用ゲーム機が登場することとなった。

その翌年である1977年に、アタリからAtari 2600が250ドルで発売される。当初はCHANNEL Fとの競合により売れなかったが1980年にスペースインベーダーを移植版により大ヒットとなった。1982年の後継となるAtari 5200がクリスマス商戦に投入されたが全く振るわず、以降アメリカのゲーム市場は衰退を見せる。世に言うアタリショックである*6。日本では、1977年の年末ごろから、東洋物産が、1978年から河田がVCSとして、1979年の10月8日にはエポック社がカテットTVゲームとして輸入販売している。*7

2. ファミコン前夜

日本でもマイコン方式、ロムカセットを用いた家庭用ゲーム機が開発される。1978年には東芝からビジコン*8が54,800円で、1979年12月にはバンダイからスーパービジョン8000*9が59,800円で発売された。前者はおもちゃ屋になかったことから知名度が低く、また両者共に価格が高すぎて売れなかったようだ。
1981年7月30日にエポック社よりカセットビジョンが13,500円で発売される。ロムカセット内にCPUを搭載しているという異色のゲーム機。効率は良くないがロムカセット内にCPUを搭載する事で本体を安価にでき、これまで発売された内蔵式ゲームの移植を容易に行う事ができるという利点のためか、ファミコンが登場するまで日本で最も売れた家庭用ゲーム機であった。カセットビジョンを機に日本で第三世代家庭用ゲーム機ブームが到来する。
第三世代の家庭用ゲーム機は主に二種類あり、一つはプログラミング機能を備えたホビーパソコンよりの、もう一方は第二世代よりも優れた性能を持つゲーム機。
ホビーパソコンは1977年にApple II、1978年にシャープのMZ-80K、1979年9月28日にNECPC-8001などが相次いで発売された。Apple IIは1298ドル、MZ-80Kの完成版である2が198,000円、PC-8001が168,000円。家庭用ゲーム機も元をただせばコンピュータということで1980年代前半にはホビーパソコンを意識し、ホビーパソコンよりも安価な家庭用ゲーム機が多く登場する。1982年には、コモドールのマックスマーシーン(アメリカではUltimax、ドイツではVC-10)、同年8月20日にトミーからぴゅう太が59,800円、11月には和製Apple IIとも呼ばれるM5がソードより49,800円で発売される。いずれもキーボード一体型で、独自仕様のBASICを扱うことが出来る。
一方、第二世代として優れた性能を持つゲーム機として、1982年にオデッセイ2がフィリップスより発売される。日本では河田が輸入販売し、当初の価格は49,800円。アメリカではマテルが1980年に発売したが、日本では1982年6月にバンダイが発売したインテリビジョン*10が49,800円で発売される。Atari2600よりも性能が高く世界初の16ビット機でありアメリカではそこそこの成功を収めたが、日本では投入時期が遅すぎたようである。また、1983年7月にバンダイが高速船を54,800円で発売。中身は1982年にアメリカで発売された、GCE社のVectrex(199ドル)。ホビーパソコン並に効果だったため売上は芳しくなかったようだ。
カセットビジョンの次を狙ったゲーム機が発売されていくが、カセットビジョンの牙城を崩すまでには至らなかった。結局ハードよりも何がプレイできる、つまり面白いソフトがあるか否かであったようだ。

3. 1983年7月15日 ファミリーコンピュータの発売。

後の勝者となる任天堂だが、1977年に発売したテレビゲーム15以降LSIゲームを作り続けるが、マイコンゲームの登場により撤退。新たなる商品として携帯ゲーム機の開発に着手し、1980年にゲーム&ウオッチを5,800円で発売する。ゲーム&ウオッチには画期的とも言われる十字キーが採用されている。また、業務用ゲーム機である「ギャラクシアン」に衝撃を受けた開発陣はより高度なハードにより「レーダースコープ」を世に送り出すがヒットせず。挽回するため基板を元に社内公募により生まれたのがドンキーコングである。
家庭用ゲーム機から一旦は手を引いた任天堂だが、ドンキーコングを家庭で、という思いが家庭用ゲーム機への復帰を促す原動力となる。1982年8月に発売されたコレコビジョンは任天堂の業務用ゲームであったドンキーコングを移植する事でアメリカにおいて人気を博す。コレコビジョンで滑らかに動くドンキーコングを見た任天堂の開発陣が衝撃を受けて、家庭用ゲーム機の開発に踏み切らせたという*11
そして、1983年7月15日にファミリーコンピュータが14,800円で発売される。しかしファミコンも発売当初から売れたわけではない。ディスカウント店では一時期7,000円程度まで値段が下がっていたそうだ*12。しかし、その後徐々に売れ始め1985年には300万台を売上、事実上第三世代の家庭用ゲーム機の天下を獲得する。1984年7月17日にエポック社スーパーカセットビジョンを14,800円で発売するが、その牙城を崩す事はできなかった。

ファミコンが何故売れたのかは色々分析されているがどれも決定的ではないと思う。カスタムICチップをリコーと共に開発し高性能ながら低価格。ソフトのラインナップなどなど。また、当初からキーボードを搭載せずPCのイメージから抜け出すがおもちゃ臭を消すなどの設計思想があった*13。コスト重視と言いながら最後の最後まで2コンのマイクを諦めないことに技術者魂を感じますね。個人的には、コントローラにジョイスティックではなく十字キーを採用し、その結果右側にアクションキーであるABボタンが配されたのも勝因の一つかなと。後にも述べますが、任天堂SFCでLRボタン、N643Dスティック、そしてWiiでリモコンと家庭用ゲーム機界にコントローラ変革をもたらすメーカーでもある。
ちなみに、ファミコンが発売された日にSEGASG-1000/3000が、15,000円と29,800円で発売された。SG-3000はキーボードを搭載しBASICに対応したホビーパソコンよりのゲーム機で、SG-1000はその廉価版。
また、同年である1983年6月にMSXの仕様が発表され*14、1982年10月に発売されたPC-9801 1982年10月 とともに日本のホビーパソコン界を牽引する。また、日本のパソコンは実質PC-9800シリーズがWindows95、98の登場まで君臨する事となる。

4. ポストファミコンを狙う刺客たち

色々なメーカーが群雄割拠する家庭用ゲーム機戦国時代に終止符を打ったのはファミコンであった。ファミコンの登場により、ファミコンを踏襲したようなパソコンからの脱却、性能に特化したゲーム機、そして十字キー型のコントローラトというゲームに特化したゲーム機の開発が盛んになる。
1984年7月にSEGAは後継となる、SG-1000IIを15,000円で発売。ここで既にファミコンの影響が見られる。パッドが2つ搭載されスティックを取り外すとファミコンのコントローラに近い形状であった。1985年10月20日にはSEGAの3代目となるセガ・マークIIIが15,000円で発売。コントローラはファミコンを意識したジョイパッドであった。
任天堂ファミコンの周辺機器を開発する。1984年6月21日にはファミリーベーシック、1985年7月26日にファミリーコンピュータ ロボット(9,800円)を発売する。ファミリーベーシックはデータ消去、メモリの不足などにより、ファミコンロボは遊び方が斬新過ぎたのか不振のまま終っている。
1986年2月21日にはディスクシステムが15,000円で発売された。ディスクカードを用いることで、1本500円で書き換えることが可能で2003年9月までサービスが継続されていた。また、ロムカセットよりも大容量でロムカセットには出来なかったセーブが可能であった。しかし、ロムカセットの大容量化、1987年にはバックアップ電池によりロムカセットでもセーブが可能となるなどの要因により、ゼルダの伝説などの名作があるものの任天堂が目論んだディスクシステムへの移行は実現できなかった。
また、1987年に任天堂ディスクシステムを利用しコンピュータ通信にも乗り出す。1988年9月にはネットワークアダプタが量産され、野村證券と手を組み証券取引サービスを開始するが、電話回線を独占し続け、通信料金もかかることからほとんど普及しなかった。また当初計画されていたネットワークゲームも市場に投入される事はなかった*15
ちなみに、1986年7月1日にシャープよりツインファミコンが32,000円で発売された。

4.1 白い刺客PCエンジン

ファミコンの性能を超えた、つまり第四世代の家庭用ゲーム機として市場に最初に投入されたのが、1987年10月30日に発売されたNEC製のPCエンジン。発売価格は24,800円。ハードは実質ハドソン開発でCPUは8ビットだが、グラフィックは16ビットとファミコンを凌駕したグラフィック性能が売りであった。ロムをICカード型とした珍しいハードである。そのためバックアップバッテリーの搭載が難しく、後に外部記憶ユニットが1989年11月に7,800円 で発売された。
PC-エンジンは1989年11月22日に18,800円で発売されたPCエンジンシャトルなど数多くの互換機が存在する。ちなみに、1991年12月13日に発売されたPCエンジンLTがテラドライブと並ぶコンシューマゲーム機の最高値である99,800円で発売された。
1988年12月4日にCD-ROM2システムが57,300円のセット価格で発売される。世界で初めてCD-ROMを搭載したゲーム機(あるいはコンピュータ)周辺機器である。名作と謳われる天外魔境シリーズやイースシリーズを輩出した。大容量、低価格、量産時間の短縮といった利点はあったが、ロード時間は遅かった。CD-ROM2システムもPCエンジン本体と同様に1991年9月21日に59,800円で発売されたPCエンジンDuoのように多くの互換機が存在する。
PCエンジンはグラフィックに強く、アクションやシューティングには強かった。しかし、後に家庭用ゲーム機を牽引するRPGにおいてセーブデータの面で欠点があったこと、CD-ROMの投入が早すぎたこと、ユニットが多すぎて何を買えばよいのか、またユニット自身も決して安くはなかったことなど、そして実質ハドソン専用機だったことなどが、ファミコンの牙城を崩す事ができなかった一因だろうか。

4.2 黒い刺客メガドライブ

PCエンジンより遅れること一年、1988年10月29日にSEGAの5代目となるメガドライブが21,000円で発売される。
米国では1989年にジェネシス(GENESIS)として発売される。16ビットゲーム機。日本ではPCエンジンスーパーファミコンと競り合ったが任天堂の牙城を崩すまでには至らなかった。しかし、アメリカではEA社などの参入によりソフトのラインナップが充実し大ヒットし成功を収めたとされる。
周辺機器として1991年12月12日にメガCDが49,800円で、32ビットのゲームが遊ぶ事のできるスーパー32Xが1994年12月3日に16,800円に発売された。メガCDはソフトのラインナップが少なく、スーパー32Xは既にサターンが発売されていた事からあまり普及しなかった。
1993年4月23日にメガドライブ2が12,800円で発売された。

4.3 灰色の後継者スーパーファミコン

80年代が終わり、満を持して1990年11月21日に任天堂からスーパーファミコンが25,000円で発売される。16ビットCPUを搭載し、発色数、画面の拡大縮小やPCM音源など当時の同世代ハードとしてはかなり性能が高い。
コントローラはABXYボタンに上部左右にLRボタンが配されボタン数が一気に増えるが、ボタンが多い事でRPGへの対応や、スト2移植において専用コントローラ無しでも遊ぶ事が可能であった。特にLRボタンはF-ZEROのドリフトに見られるように、十字キー以外で左右方向の制御を意識させる画期的なボタン配置である。
スーパーファミコンの開発は癖があったらしく当初はファイナルファイトで二人プレイが出来ないなどアーケードゲームの移植に戸惑っていたようだ。しかし、中期以降はスト2をそのまま移植できるようになっていった。その後、大容量化やスーパーFXチップのようにICチップをロム内に内蔵するゲームが開発され、ソフトが徐々に高騰していく。発売当初は8,800円くらいだったのが、1994年ごろより1万円越えのソフトが多発するようになっていった。
1995年4月23日からサテラビュー(本体価格18,000円)というBSデジタルラジオ局の衛星デジタル音楽放送を利用したゲームソフト配信などのサービスが開始される。クロノトリガークロノクロスの中間的作品であるラジカル・ドリーマーズなどを配信するが、普及の少ないBSデジタル放送を利用したことや、既にサターンやプレステが発売されていた事から普及には至らず、2000年6月30日にサービスは終了する。

同世代のハードとして性能が高く、ソフトのラインナップもファミコンと同様のメーカーを牽引できた事から、第四世代の家庭用ゲーム機も任天堂スーパーファミコンが制することとなった。

5. ロムカセットからCDロムへ 最後の戦国時代を経て三国時代

第四世代はPCエンジンメガドライブスーパーファミコンと第三世代に比べると静かな覇権争いだったように思う。それは、第四世代が第三世代のゲーム機をそのまま拡張したような性能だったからであろう。
さて、第四世代の終わり、つまりスーファミ末期になると、2Dグラフィックの進化が隆盛を見せるが限界も見え、ゲームの大容量化によるソフト価格の高騰化が問題となっていた。1993年にスーパーファミコンとして初となる3Dゲームであるスターフォックスが発売され、同年にはアーケードでバーチャファイターがリリースされ3DCGゲームが注目を集める。結果、3DCGゲームを家庭で、ゲーム価格を安くという需要が高まり、第五世代では3DCG、大容量で低価格な光ディスクの採用などこれまでとは全く異なる家庭用ゲーム機の登場が期待された。そのため、第四世代よりも多くのメーカーが参入し、過去の第二、三世代を髣髴とさせるような市場となった。

32ビット機の先駆けとして、松下電器より1994年3月20日に3DO REALが79,800円で発売される。3DOはとは、米国3DO社が提唱したマルチメディア規格で、各社にライセンスを提供しアメリカでは1993年秋に発売されていた。ゲーム以外にも動画再生などができるAV機器。当初は価格が高かったこと(後に59,800円)、ソフトも海外産の輸入が多かった事などの理由により普及には至らなかった。後にスト2XやDの食卓などを送り出し、巻き返しを図るが多くのユーザーはサターン、プレステ、N64に目を向けており1996年年末ごろには店頭から消えてしまった。
1994年9月23日にはバンダイが24,800円でプレイディアを世に送り出すが、ターゲットが小学生だった事と、スペックも低かった事などからほとんど普及しなかった。

5.1 黒い土星

3Dゲームが期待される中、キラータイトルとしてアーケードで人気を博したバーチャファイターを引っさげて、1994年11月22日にセガサターンが44,800円で発売される。SEGAの6代目の家庭用ゲーム機であることから6番目の惑星のサターンと名づけられた。
発売当初はバーチャファーターの勢いもあり、同時期に発売されたプレイステーションが家庭用ゲーム機に新規参入だったこと、任天堂が次世代機を発売していなかった事などから第五世代の覇権を握るかに思われた。しかし、サターンのハードは優れていたものの、開発環境不足からサードパーティが参入しにくかったと言われる。バーチャ2以降はライブラリが公開されるなど開発環境は改善されるが、プレステにFF、DQが参入したことが決定的となり後一歩のところで覇権を握る事はできなかった。また、メガドライブで海外市場を開拓していたものの、ソニックシリーズを出さなかったり、低価格路線についていけなかったりと海外市場での展開に失敗。SEGAの歴代家庭用ゲーム機でサターンは日本では最も売れたが、海外市場では最も売れなかった。

5.2 灰色の新星

サターンが発売された直後の1994年12月3日にソニー・コンピュータエンタテインメントSCEI)よりプレイステーションが39,800円で発売される。
元々は、1990年前後に任天堂と共同開発していた、スーパーファミコン用のCD-ROMシステムである「プレイステーション」とされる。恐らく、PCエンジンCD-ROM2メガドライブメガCDと同じような位置づけの機器だったのだろう。任天堂はCD-ROMシステムをソニーと共同開発していたが、1991年6月にはフィリップスと契約を結ぶと発表し両社の契約は決裂。1993年初頭よりソニー内で現在のプレイステーションの開発が始まったといわれる。
ポリゴンに特化したゲーム機で、またソニー自体がゲームソフトを開発でき無いことからサードパーティの参入条件が低かった事から、発売当初からたくさんのソフトがリリースされた。特にリッジレーサーなどに代表されるように発売当初はナムコが牽引していた。1996年にはスクウェアFF7を発売する事が発表され、次いでエニックスドラクエ7を発売することを発表した事が決定的となりプレイステーションが第五世代の家庭用ゲーム機の覇権を握る事となった。
NINTENDO64の3Dスティック、拡張振動パックを参考にしたと思われる、アナログコントローラが発売される。1997年11月13日に発売されたプレイステーション「SCPH-7000」からデュアルショックが同梱されることとなった。

5.3 巨星落つ

ファミコンスーファミと覇権を握った任天堂はもたもたしていた。スーファミの次世代機が期待される中、1996年6月23日にようやくNINTENDO64が25,000円で発売される。性能としては、同世代のマシンと比べると3D演算能力が高い。ロード時間短縮のためか、第五世代では唯一ロムカセットを採用している。また、コントローラの形状が大きく変わり3Dスティックが搭載された。3Dスティックの影響か、プレステもアナログコントローラを採用する。個人的には、プレステがスティックを二つ搭載した事は面白く、その結果塊魂のような名作を生んだと考えている。
販売台数としては、日本国内ではサターンにも及ばなかった。その原因は色々考えられるが度重なる発売の遅延によりユーザーやメーカーが離れたことが大きいだろう。ユーザーに関しては、1996年の夏には既にFF7がプレステで発売されると発表され、プレステに多くのメーカーが参入していたことから。メーカーに関しては、ハードスペックが高すぎてサードパーティの開発環境のハードルがさらに高くなってしまったことなどがあるだろう。そのため、日本ではプレイステーションにトップの座を奪われてしまった。
しかしながら、小中学生を中心に一定のファンを獲得する事ができ、マリオカートスマブラマリオパーティーなど多人数でたのしむゲームには名作が多い。また、アメリカではSEGAの不振もあってか大きな成功を収めたといえる。

5.4 その他の家庭用ゲーム機

1994年9月9日にSNKネオジオの後継となるネオジオCDを49,800円で発売する。SNKアーケードゲームが遊べたが、大容量なで等倍読み込みでロード時間が遅く、ロード時間を削減する工夫も施されていなかった事から普及には至らなかった。
メガドライブスーパーファミコンと共に争ったNECは、サターン、プレステが発売された後となる1994年12月23日に49,800円でPC-FXを発売する。しかし、3Dポリゴン表示を全く備えていなかった点、2D処理に関してもPCエンジン2台分に過ぎなかった事などの低スペックだったことなどから、3DOと同様に淘汰されてしまった。
変り種としては、1996年3月28日にバンダイアップルコンピュータが開発した、ピピンアットマークが49,800円で発売される。ダイヤルアップでネットに接続できる世界初の家庭用ゲーム機であったが全く振るわなかった。

6. 新・三国時代への突入へ

第6世代においては、さらなる3Dグラフィックスの進化を目指した家庭用ゲーム機の開発が求められた。

6.1 黒から白へ 早すぎた投入

市場に最初に投入されたのは、1998年11月27日にSEGAより29,900円で発売されたドリームキャストである。アナログ入力スティックの採用や、コントローラーポートが4つあるなど、所々にN64の影響が見られる。モデムを内蔵しており、インターネットに接続可能であった。当時はパソコンではなく、ドリキャスで初めてインターネットを体験した人も多かった。
セガの専務だった湯川英一が登場する自虐的CMにより知名度を上げるが、グラフィックチップの開発の遅れにより十分な量を生産するに至らなかった。また、キラーソフト群も発売延期により開発環境のハードルは高くなかったものの、初動の遅れによりサードパーティの参入は伸びなかった。そこで、1999年6月に価格を29,900円から19,900円へ値下げするも伸び悩む。また、作れば作るほど赤字ことから2001年の3月に生産を終了する。そして、ドリームキャストを最後にSEGAは家庭用ゲーム機からも撤退する。
ドリキャスの展開には失敗したが、ファンタシースターオンラインシリーズ は日本で初めて成功した家庭用ゲーム機用オンラインゲームと言えるだろう。

6.2 黒い上位互換機

2000年3月4日にSCEIよりプレイステーション2が39,800円で発売される。プレイステーションに参入していたメーカーをそのまま牽引したことでソフトノラインナップは十分であった。発売当初はDVDプレイヤの普及時期と重なっていた事から、安価なDVDプレイヤとして購入する人も少なくなかった。プレイステーションとの上位互換により旧来のユーザーはPSの資産が生かせ、新規ユーザーもPS2を買えばPS1/2のどちらも遊べる事、さらにメーカーはそのままPSのソフトを開発しても売上に響かないという点もあり、互換性はPS2の売上に大きく貢献したと思われる。
2008年に最も多くプレイされたゲーム機はプレステ2であるとされている*16
PS2が家庭用ゲーム機に与えた影響として、上位互換もさることながら縦置きが見過ごす事ができない。PS2は高性能化に伴い巨大化を余儀なくされたが、縦置きにすることで省スペースを実現できた。省スペース化は日本市場においては重要であり、後に発売されるXbox360Wiiも縦置き可になっている点は注目に値する。
周辺機器として、2003年6月12日からネットワークアダプタである PlayStation BB Unitを12,800円で発売する。HDD付であるが、多くのソフトはHDD無しでプレイできる。現在でもFF11などがプレイ可能ではあるが、普及は進まなかった。
また、2003年12月13日にHDD搭載DVDレコーダ「PSX」を250GB HDDを搭載する「DESR-7000」は99,800円、160GB HDDを搭載する「DESR-5000」は79,800円で発売する。PS2+HDD搭載DVDレコーダは価格的にもお得ではあったが、同時期の発売されたスゴ録のヒット、その後DVDレコーダ自体の価格低下に伴い普及には至らなかった。

6.3 青い箱と黒い箱

2001年9月14日に任天堂よりゲームキューブが25,000円で発売される。本体はコンパクトで非常に堅牢。コントローラもN64に比べると小さくブラシュアップされている。ゲームボーイアドバンスと連携できる。
ゲームが作りやすい環境を整えていたものの、DVD再生機能がなく、下位機種との互換性がなく、また投入時期がPS2よりも遅かった事もあり、ソフトはほとんど任天堂製であった。N64と同様に小中学生を中心に人気を博し、日本ではPS2に次ぐ売上を見せたが、アメリカではXboxに劣勢を強いられた。また、当初GCでのみ発売されることになっていたソフトがPS2に移植されることがあり、GC独占を信じたユーザー間では問題となった。
2001年12月14日に松下電器からDVD再生機能を備えた互換機Qが発売されたが、ほとんど普及しなかった。

撤退したSEGAドリキャス、苦戦を強いられる任天堂GC、栄華を極めるSCEIPS2に突如として新規参入したのがマイクロソフトXboxである。アメリカでは、2001年11月15日に発売され、日本では2002年2月22日に34,800円で発売された。コントローラ配置はドリームキャストを参考にしていると思われる。APIDirectXを使用する事で、製作コストが抑えられ海外メーカーはこぞって参入。日本ではカプコンコナミが参入したが振るわなかった。さらに、筐体の大きさや既にPS2がシェアを拡大していた事から日本では販売台数が伸び悩んだ。しかし、アメリカではPS2に次ぐシェアを獲得するに至っている。
アメリカでは2002年11月、日本では2003年1月からXbox Liveというオンラインサービスを展開。アメリカでは成功を収めるが、日本では振るわなかった。

7. アメリカへ市場がシフトした第七世代

第六世代においては、SEGAが撤退しマイクロソフトが参入した事で、新たなる三国時代が始まった。しかし、第六世代の家庭用ゲームは第五世代の延長線上にあり、スペック以外は本質的な進化は無かった。また、日本でもPCの性能がアップした事で、PCゲーム、特にオンラインゲームが徐々に普及し始める。第七世代においては、PCと家庭用ゲーム機の境界が曖昧になってくる。Xbox360WiiPS3共にインターネット対応である。
第七世代で最初に投入されたのは、マイクロソフトXbox360であった。アメリカでは2005年11月22日、日本では2005年12月10日に39,795円に発売された。PS2同様に縦置き可能。HDTV画質に対応。Windows XP搭載のPCと連動し、PC内の動画などを再生できる。一部のXboxのソフトと互換性がある。Xbox Live Arcadeにより各種ゲームをマイクロソフトの専用サーバーからダウンロードしてプレイすることができる。Xboxラシックスにより、Xboxのソフトをダウンロードしてプレイ可能。
Xboxより遅れる事一年、SCEIよりプレイステーション3が2006年11月11日に発売される。20GBは49,980円、60GBは59,800円。Blu-ray再生機能があり、HDTV画質にも対応。マルチメディア再生ができ、ゲームアーカイブスで過去のPSゲームをダウンロードしプレイできる。PS3用のゲームもダウンロードできる。当初のモデルはPS1/2との互換性があったが、後継のモデルではPS2をプレイすることが出来ない。
次に、任天堂よりWiiが発売される。アメリカでは2006年11月19日、日本では2006年12月2日に25,000円で発売。Wiiリモコンとい新しいコントローラを導入する事で、スペック的にはXbox360PS3よりも劣るものの、これまでに無い操作性から多くのユーザーを取り込む。GCと上位互換であり、さらにバーチャルコンソールにより様々な家庭用ゲーム機で発売されたソフトをダウンロードしてプレイできる。Xbox360の様にWii用のソフトをダウンロードしてプレイ可能。

当初は第七世代として最初に投入されたXbox360がシャアを拡大したが、現在はWiiがトップである*17任天堂スーファミ以来トップに返り咲いたが、SCEIはトップを明け渡す事となった。日本では、WiiPS3Xbox360の順だが、世界的にはWiiXbox360PS3であり前々、前世代でトップであったSCEIは不振となっている。これは、現在世界的にはソフト開発高騰のためマルチ展開が当たり前であることから、先に市場に投入されたXbo360の方がPS3よりも有利であったためであろう。Xbox360PS3はPCゲームとの違いが見えない中、Wiiはリモコンなどこれまでとは違った家庭用ゲーム機を指し示す事ができかつ安価で、しかも過去のコンソールとの互換性が最も高い事ことからWiiがトップに立った要因だろうか。
そもそも日本においては据え置き型家庭用ゲームの売れ行き自体が不振である。PS2の頃からゲームソフトは20万本売り上げれば大ヒットと言われるまで市場は縮小している。洋ゲーは日本市場なんて見向きもしてないのでは においても示したが庭用ゲーム機の市場は完全に海外へシフトしていると言えるだろう。
その一方で日本ではDSなどの携帯ゲーム機の方が売れている。日本のゲーム機市場は携帯ゲーム機へとシフトしていくのか。しかし、据え置き機とPCの区別がつかないように、携帯ゲーム機も携帯電話というライバルがいるように感じる。特に携帯電話でゲームをする人口は価格の安さもあり、相当数いるのではないか。また、iPhone も見逃せない。コンソールが進化したことにより、ゲーム機専用という考え方がもう古いのかもしれない。ゲーム機専用で残るには、DSやWiiのような独自なインターフェースを搭載すべきかもしれない。もしかしらた、今こそ1995年7月21日に横井軍平が残したバーチャルボーイの後継機が必要なのかもしれない。