ゲームでしか語れないストーリーを探して

ゲームを何度も繰り返して遊ぶ僕としてはストーリー部分が邪魔になってしょうがないことがある。最近買ったアサシン・クリードは面白かったけど、任務のたびに長がべらべら、暗殺対象もべらべらと饒舌なので二回目ともなると飛ばしたくて仕方が無いが飛ばせない。
ゲームはストーリーを語るのは向いてないが、ゲームだからできるストーリー展開があるはず。ストーリーという名の紙芝居に重きを置き、それを見るためにフィールドを移動しボスを倒す過程をゲームにするなら、ゲーム部が明らかに邪魔でアニメにしてしまった方が良い。ゲームにはゲームの、ゲームにしかできないストーリー回しがあるはずだ。

ストーリー至上主義の人のために公式プレイ動画を配信すればいいんじゃね?

RPGで1、2週目ならいざ知らず、数週プレイを念頭に置きゲーム部分にガッツリ腰を据えたい者としては、ストーリーもスキップできるようにして欲しいよってのが、レベル上げ時間が金で買えるなら、ストーリースキップをフルでつけてくれ というエントリ。そういえば、ヴァルキリープロファイルが面白かったからPSP版買ってみたけど、ストーリー飛ばせないわ、ダンジョンが複雑だけど微妙に覚えていて新鮮味無いわ、さらに最深部にリレミト無いわで、全然楽しめず挫折した。ヴァルキリープロファイルの戦闘は本当に楽しいのだけども。

さて、レベルを売るのは、戦闘やダンジョンスキップに対する妥協の産物なのだろうか。僕が「ストーリーのためにRPGやる奴の気が知れない」的なエントリを書くと、「知りたいストーリーがゲームにしかないからゲームするんです」的なコメントが偶につきます。そんな人は 経験値やゲーム内通貨を現金で買うことへの、古参プレイヤーの拒否反応を解消する、たった一つの冴えたやり方 にあるようにニコ動でプレイ動画でも見てればいいんじゃね?と。ただまぁ、流石にニコ動のプレイ動画権利的に問題だから、一つの解決方法としてはメーカーが、課金によりストーリー部分を見れるようすれば良い。あるいは、プレイ動画を課金配信する。今ならゲームを買った人だけにしか見られないようにするのも技術的に可能でしょう。時間の無いユーザーとゲームを売りたいメーカーにとって双方がお得なwin-winで、これならゲーム部分に大切な何かを抱いてるユーザーにも反感を呼ばないだろう。
しかし、それでは満足できないわがままな人もいるんだろうねと。ダンジョンとかワールドマップを歩き回って箱庭感覚を適度に味わいつつ、レベル上げは面倒だし、属性とか戦闘システムが良くわからんから敵の弱点を突く的な戦闘はできないけど、ボスを自分で倒してカタルシスも得て、その中でストーリーを知りたい、つまり良いところだけ取りたいと。しかも、ゲームはたくさん出るし、やりたいゲームもたくさんあるからこの一連の流れを短時間でやりたいと。早くクリアしたゲームが中古市場にさえ出回らなければ、さっさとクリアして新しいゲームを買うユーザーの方がメーカー的には嬉しいでしょうが、そこまでしてゲームしないとダメなのかなと。ゲームとゲームとして楽しめず、ただの紙芝居として捕らえるのはもったいないと感じる。

君は、ゼノギアスのDisc2に耐えられるか

ノベルゲー以外でストーリーを語るのってどう考えても向いてないんですよ。ゲーム部分とストーリー部分が分かれてるからどちらにせよテンポが悪い。ゲーム部分で迷ってるとストーリー忘れたり、逆にゲームをやりたいのにストーリー冗長だったり。最近ゲームアーカイブスゼノギアスが出たので再プレイしてますが、やっぱりストーリーが長いですね。好きなストーリーですけども。PSPのスリープ機能が無かったらストーリーを読み進めるのに挫折してたことでしょう。まぁ、ゼノギアスでイライラするのはストーリー部分の長さもさることながら、ダンジョンの視点の悪さにもある。足を踏み外すと入り口からやり直しなアクション要素のあるダンジョンおいて、エンカウント時の操作不能による奈落の底行きとか。
ゼノギアスといえばDisc2になると突如サウンドノベル形式のモノローグになることで有名です。一応ダンジョンや謎解きはありますが短く、ボスを倒していくだけです。FF6の崩壊後に仲間を集める部分がモノローグになり、適度にボスを倒し、ラストダンジョンに突入する感じでしょうか。ラストダンジョンに突入するまで世界がどうなっているのか分かりません。ゼノギアスというストーリーの特質上、モノローグ形式で語るというのは無きにしも非ずで大変挑戦的な演出ではありますが成功してるとは言えないでしょう。さて、RPGにおいれストーリー至上主義の人はゼノギアスのDisc2をプレイしてどのように思うのか知りたいところです。ストーリーだけを追いたければ、ゼノギアスのDisc2みたいにストーリー→シンプルなダンジョン+適度に倒せるボスを繰り返せば良いわけですから。膨大な設定資料による世界観の作りこみもオタク的には面白いですが、適当なゲーム部分+作りこんだストーリーという手法は後のゼノサーガの売り上げ等を見るに決して成功しているようには思えません。ストーリーを作りこみたければどうしてもゲーム部分が邪魔になるんですよね。なんというジレンマ。

アサシン・クリードは映画的だけどもゲームだから面白い

再プレイのゼノギアスも残すところラストダンジョンです。ゼノギアスで面白いなと思うのはゼーブポイントの存在する理由がストーリーに絡んでくる点。スクウェア系のRPGでしばしみられるセーブポントはボス前の目印としても役に立ちます。魔物がよってこない神聖な場所だと説明されますがセーブできる理由は定かではありません。ゼノギアスでは、世界の支配者がデータを管理採取するために設置しているとゲーム中で明らかになります。物語の核心にも関わり、敵である支配者にデータを提供していたと考えると悔しさがこみ上げてきます。もちろん、その後もセーブポイント使わないといけませんけども。
このように、僕はシステムとストーリーが絡んでいるゲームにたいそう感動する口です。特にゲームにしかできないストーリー演出に日々出会いたいと願っています。最近プレイした中で、ゲームであることを活かしたストーリー展開だったのは、アサシン・クリードメタルギアソリッド4でしょうか。メタルギシリーズはサイコ・マンティスに代表されるようにメタな視点が多いですけども、メタなネタは緊張と緩和における緩和の役割がある。ずっと緊張しっぱなしだと疲れるし、不意を討てませんからね。メタルギアソリッド4は旧作ありきの内容ですが、ラストバトルは何度プレイしても熱い展開に感じられます。

アサシンクリードは公式サイトにおいて12世紀のエルサレム周辺で活動するアサシンであるアルタイルの話と紹介されていますが、本当は現代よりちょっと未来にいるデスモンドが記憶を追体験するゲームです。
デスモンドはある理由により、祖先のアルタイルの記憶を特殊な装置により追体験することになる。記憶を追体験するためにはデスモンドとアルタイルが上手く同調しなくてはならない。アサシンクリードはゲーム内では割と好き勝手なことができますがストーリーは一本道です。これは記憶を追体験していることが理由となる。また、追体験中にアルタイルが死んだり、任務に失敗したりとデスモンドとの同調率が下がるようなことをするとゲームオーバーでコンテニューとなりますが、これも記憶の追体験により説明することができる。さらに、アルタイルは優秀なアサシンという設定ですが、ある任務の失敗により位と装備を剥奪されます。任務をこなすごとに能力と装備が増えていくが、これもデスモンドとアルタイルの同調と捉えることもできますし、プレイヤ自信のスキル上昇ともシンクロします。
このように、アサシンクリードは記憶を追体験するというストーリーにより、操作キャラであるアルタイルとプレイヤを上手くシンクロさせたゲームである。記憶を追体験するというストーリーはゲームシステムとの相性がよいのだろう。

ゲームとしては暗殺のルーチンが単純作業の繰り返しであり、GPSシステムは便利だがヒントではなく答えになっているし、ステルスアクションを銘打っているのにアサシン無双になりがちなのは改善の余地あり。ストーリーとしても続編ありきで作られており、ゲーム内では敵も味方もペラペラしゃべり二度目をやるときの邪魔なるが背景などは自分で調べないと良くわからないという消化不良。しかし、街の作りこみは半端ではなく風景を見て回るのが好きな私にとっては街を歩き回っているだけでも楽しいゲーム。暗殺にしても色々やり方ありますしね。

ゲームシステムとストーリーの融合

アサシン・クリードは記憶を追体験するという点でゲームとマッチしていました。他にもゲームシステムとストーリーが融合したゲームはある。秀逸だなと思うのは、犯人はヤスで有名なポートピア連続殺人事件。詳細は コマンド──「ヤス」という発明 ポートピア連続殺人事件(1) が詳しいですが、犯人はヤスと知っていてもそこにたどり着くまでにはたくさんの過程があるわけで。

例えば、メタルギアアシッド2。メタルギアシリーズはステルスアクションですが、アシッドシリーズはカードゲームです。カードを用いてマス目状のフィールドを移動し、同じくカードで様々なアクションを行い任務を遂行していきます。面白いゲームシステムなのですが、他に続いていないのが残念です。ゲーム内でのカードの位置づけは、ナノチップ・エキスパンションというシステムのデータという扱い。ナノチップ・エキスパンションとは、例えば武器カードを使用することでナノチップに使い方がプログラミングされ、扱ったこともない武器をナノチップの補佐により扱えるようになるシステムである。このシステムがゲーム内の核心部分に関わってくるのですが、ネタばれになるので詳細は述べません。プレイ時にはゲームシステムをストーリーで上手いこと説明したなと感心したものです。

大神の筆しらべもそうでしょうか。筆しらべはPS2左スティックを使い特定の模様を描くことにより様々な力を使うことが出来るシステム。WiiやDSでこそ出して欲しいシステムであります。謎解きから戦闘まで様々な場面で使い、また日本画絵巻物風のグラフィックともマッチングしています。ややネタばれになりますが、ラスボスを各筆しらべで倒していく様は総力戦であり感動すら覚えます。

FF8もゲームシステムとストーリーが融合したゲームです。しばしば、批判的に取り上げられますが僕は好きです。主にカードとか。FF8の要となるシステムはジャンクションシステムです。ジャンクションシステムは召喚獣を用い魔法を装備し能力値を強化します。主人公であるスコールが所属するSeeDと呼ばれる傭兵集団はジャンクションシテムを活用し実績を上げています。ただし、ジャンクションシステムは記憶の欠落という弊害があり、これは主人公たちが重大な事実を忘れている理由付けの一つとしても利用されています。また、もう一人の主人公であるラグナにより過去のストーリーが展開される理由や、ラスボスの登場理由もジャンクジョンシステムにより説明されている。特にラグナパートにおいて、ラグナたちは何者かの力を借りていることを意識している描写がある。スコールたちも何故ラグナの過去の記憶を操作できるのかは良く分かっていない。これはある力によりスコールたちがラグナにジャンクションしているからだが、この構図はそのままスコールたちとプレイヤの関係にも当てはめることができるだろう。つまり、戦闘を中心としたゲーム部分はプレイヤがスコール達にジャンクションしているからこそ自由に操作できるという構図である。イベントが彼らの意思によって進むのはジャンクションが必要ないからだ。FFはDQと異なり、プレイヤ=主人公ではないが、イベント以外の部分をプレイヤが主人公を乗っ取っていると考えるとイベントが勝手に進む理由に頷けるかもしれない。

ストーリーのためにゲームシステムが存在する場合もありますが、ゲームシステムがストーリーの根幹を説明するからくりになっているとプレイヤとゲームの世界がシンクロし面白さが倍増するという点で僕は大好きです。

ゲームしかできないストーリー展開

ストーリーとシステムが関わりあってるゲームが好きですが、ゲームにしかできないストーリー展開も好きです。すばらしいなと思うのは夢をみる島。詳細はまたしても GAMIAN(ゲーミアン) のエントリである
ゼルダの伝説 夢をみる島 (1)未プレイの人のために に譲りますが、プレイヤの選択肢によりゲームの結末が導かれるというからくりは非常に悩ましいものである。

個人的に、ゲームをプレイして最も衝撃的だったのはライブ・ア・ライブ小学館のマンガ雑誌にて連載を持っていた7人の漫画家によりデザインされてキャラクターの登場するオムニバス形式のRPGである。それぞれ独自のゲーム性と世界観を有するが、キャラクターデザインが異なることがそれを可能にしている。また、各シナリオはある一点で共通しており、それこそが物語の核心であり、さらに既存のRPGの既成概念を打ち破るシナリオである。これを超える衝撃にはそうそう出会えないのではないかなと。バーチャルコンソールで配信して欲しいが、小学館との権利関係で難しそうだ。

マルチエンディングもゲーム特有のストーリー展開でしょうか。RPGで上手く体現しているのは、つよくてニューゲームのあるクロノトリガー。ラスボスをストーリー上の様々な場面で倒すことによりエンディングが変化します。つよくてニューゲームがあることでアイテムコンプリートやレベル上げ以外にもゲーム自体が楽しくなるゲームってなかなか無いように思います。

ゲームならではの演出なFF10

システムとストーリーが融合し、さらにゲームならではの展開なゲームはFF10でしょうか。主人公ティーダとヒロインである召還士ユウナが殺戮を繰り返すシンを倒す物語である。召喚獣を召喚する仕組みがFF10の根幹である。
物語の骨子としては、FF7や9と同じでAと思っていた真実がBであり、しかもその事実は自身のアイデンティティーに関わっていたという話。特に、9における作られた生命体であるビビと主人公ジタンの対比がFF10におけるユウナとティーダの立場の変化に通じるものがある。ティーダはシンを倒すための究極召喚を目指すユウナの決意とその代償をプレイヤと同じタイミングで知ることになる。この時ティーダの苦悩は、プレイヤの苦悩でもある。そして、その代償を犯して究極召喚を手に入れてもシンを倒しても復活することも知る。ティーダはその代償を犯さない方法は無いものかと思い悩む。
物語が究極召喚を手に入れる前夜にティーダ達が回想形式でこれまでの戦いを振り返るという演出は、その後の物語が死の連鎖を断ち切るために繰り返されてきた過去とは異なる新たなる道を切り開くことを示唆するのだろう。回想シーンは決まりきった過去だったが、これからはプレイヤの選択する未来であると。
その後、プレイヤは究極召喚の真実を知り、一つの負のらせんを断ち切る。そして、本当の意味でシンを倒す可能性にかける。しかし、主人公であるティーダはシンを倒すこと、シンを倒すことによる自身の代償を知ることになる。その代償とはユウナと同じものであった。この相手の運命だと思っていたものが、自分の運命でもあったという仕組みはゲームと相性が非常に良い。メタルギアソリッドもそうだし、FF7,8,9もそうである。
FF10はテーマが多岐に渡り、難解だが父親越えというテーマもあり、これもまた心苦しい。召喚やシンの成り立ちを演出したラストバトルも物悲しい。

ゲームだから面白い

ゲームでストーリーを語るのは難しい。システムを利用するにしても、ゲームならではの演出を用いるにも簡単ではない。また、ストーリーの面白いゲームをそのまま小説や映画にしても全然面白くない。
バイオハザードをそのまま映画にしても明らかにB級ホラーになっちゃいますよね。バイオハザードは自分で操作するからこそ怖さが倍増するわけで。ゾンビを避けてもいいし、倒してもいい。しかし、弾切れに要注意と。つなみに、映画版もあるけどは映画版はまた別物。ドラクエもゲームだから面白いゲームで、小説版もありますが、ゲームと小説版は別物なのと同じかな。
ゲームだから面白いのはゲーム部分でプレイヤそれぞれの物語が生まれるからですよね。プレイヤによってボスが楽勝だったり辛いものだったり。ジリ貧状態から奇跡的に勝てたり、楽勝ムードが一つのミスで全滅したり。ゲームのストーリーよりもダンジョンで迷ったこととか苦心してボスを倒したことの方が覚えてるもので、簡単なゲームほど印象に残らない。「昔のゲームの方が面白い」と言ってしまう心理も、ゲームで苦しんだけど、困難に打ち勝った過程が印象に残っている事が多いので、再度プレイするとあっさり解けたり、あるいは新鮮味が無くて飽きたりと。

限りなくまとめ的に近い何か

cf:めでたしに限りなく近い何か

  • ゲームシステムと融合する
  • ゲーム的演出
  • ゲーム部分から生まれるストーリー
    • 戦闘など。これは人それぞれなので、味付けは難しい
    • しかし、多くのプレイヤが苦戦するボスという調整は可能

ストーリーだけを楽しみたい人への解決方法→メーカーが課金すればストーリー部分を見られるようにしてみる。