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無感動なのは移動手段じゃなくて、心の中に自分自身を響かせる「鐘」がないから

それは君が移動する事に価値を見出しているから。自転車で汗水たらして自分の力で100km移動した事に感動しているのであって、100kmと言う数字に意味は無い。移動した事に感動したいなら飛行機を自分で操縦してもいいし、直接的ではないが旅行のために働きお金を貯めるのだって似たような感動だろう。それは、移動した先で見たものの感動とは全然違うもの。100km移動したからそこで見られるものに感動できるとは限らない。
頻繁に海外旅行に行くものの、「どうだった?」と聞くと「大したこと無かった」と答える人がいますね。その人は、海外旅行している自分、海外旅行できる自分に満足しているのであって、行き先はどこでも良いのですよ。自転車の増田も100kmを自転車で移動した自分に満足しているだけ。

「京都とか行って寺とかいっても、まぁ、感動するけどそうでもないべ?」と言うが、それは君がそのお寺の背景を知らないからであって、きちんと知っていくと得るものは大きい。僕は修学旅行で京都に行きましたがその時は不勉強ながら楽しめたが、大人になってある程度背景を知ってから京都に行くと勉強しなかった事が勿体無いなと痛感した。多分、勉強していたらもっと歴史が好きになれたに違いないのに。ただまぁこれも、勉強した労力に伴った感動なので、100km移動したのと同じ事なんだろうけど。何も勉強しなくても感動できるものは確かにあります。しかし、それは余程インパクトが無いとだめ。感動したいなら、自分自身で感動できるように下地を作らないといけない。別に自転車で100km移動したって良いし、ファンみたいに知識を詰め込んでも良い。兎に角、感動できるための心に響く「鐘」が無いと、感動なんてそうそうできるものではない。