読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

たとえ話は往々にして議論を混乱させる

話が非常に分かりにくくて申し訳ないが、僕にはここまでしか噛み砕けません。

たとえ話とは回り道である

ある話題を説明する際にたとえ話を用いる事がよくあります。僕もたとえ話を良くします。「たとえば〜」が口癖になっている気がします。ある特殊な事象を説明する際に、より一般的な話に置き換えた方が分かり易い事が多い。しかし、分かり易いのは確かだが、たとえ話であり変換された話なので事象の本質までは理解できず、分かった風止まりである。本質を理解するには事象そのものを理解しなければならない。量子力学で量子を何かにたとえても、それは量子そのものではない。量子の理解の助けにはなるが、量子そのものを理解したとはいえない。

ある事象を説明する際に、相手に理解して貰えないから、その相手の分かり易い事例にあわせてたとえるのが基本であろう。つまり基本は1対1。1対1ならば密にコミュニケーションを取れるので、事象をたとえる際に、つまり事象を翻訳する際にブレが少なくなる。
1対多数の場合は、コミュニケーションの密度が薄くなり翻訳のブレが大きくなる。ただ、ブレを最小限にとどめる前置きを施せば、たとえ話を効果的に用いる事も可能である。しかし、ネットのような1対多不特定多数を相手にする場合にたとえ話は本当に難しい。もちろん、きちんと前置きを施せばネットでもたとえ話は可能であるが、その前置きは長大になるだろう。僕は、「漫画、アニメ、ゲームのせい」は「天狗の仕業」と同じ思考停止 とたとえたが、そのために長々と文を書く必要があった。つまり、たとえ話とは事象を端的に短く伝えるためのものではなく、回り道をして分かり易く噛み砕きクドクドと余計に手間のかかる説明である。まぁ、この辺の話は京極夏彦京極堂シリーズを詠んでる方なら説明する必要も無いでしょうが。

たとえ話が成立するのは特殊なケースのみである

たとえ話は事象を変換・翻訳したに過ぎず、本質ではない。英文を日本語に訳すし際に内容的には正しくても、細かいニュアンスを伝えるのが難しいのと同じだ。
たとえ話が成り立つ事は確かにあるが、ほとんどは特殊なケースのみに成り立つ事がほとんどである。特殊なケースでのみで成り立つのにも関わらず、そこから逸脱する、つまりたとえ話を広大解釈すると議論が混乱する。これは、たとえ話する方とたとえ話をする方の両方に関わる問題である。ただ議論が混乱するケースはたとえ話をする方に責任の比重があるように思う。
たとえ話をする側は、事象を他のものにたとえる際に、どこからが適切で、どこまでが適切でないかを見極めなければならない。たとえる際には、先ず正しく翻訳できるか検討し、その後正しく翻訳を行い、正しく翻訳が行われたかを確認しなければならない。正しく翻訳できないたとえ話を用いると、たとえ話をされた側は間違った解釈から出発するので理解する事ができない。また、間違った解釈のまま互いに議論するので議論がかみ合わず混乱する。
例えば、量子を「粒子の波」なんてたとえるのは大間違い。

一例として、嫌がられているのは、「車社会」ではなくて。 のコメント欄のやり取りを挙げたい。
fujipon氏は、はてブでのネガティブ・ブックマークは、初心者マークつけてる車を追いかけまわして、「公道の厳しさを教えてやるぜ!」って威張るのと同じとたとえた。
しかし、otsune氏により「初心者マークつけてる車を追いかけまわし」は「危険行為・脅迫行為」で違法行為だが、ネガティブ・ブックマークは違う。むしろ、「はてブを舞台にした名誉毀損や脅迫行為」がそれに当るのではないかと指摘しています。
これは僕も同意見で、fujipon氏の言いたいことは分かりますが、このたとえは不適切であると思います。むしろ、変な比喩を用いるよりもありのままの言葉を用いた方がはるかに分かり易いと思います。そもそも生活の雑感記事にネガティブブクマコメントはつかないのでは? 他者に言及して、私はただ感想を書いただけなのに!と言う人が一番狙われる とkanose氏も似たような事書いてました。

また、この事例からたとえる側のもう一つの問題が浮かび上がる。それは、たとえる側は用いらたとえ話が的確だと確信しているため論点がずれている、あるいはぶれている事に気付かない事。本当はたとえを思い付いた際にたとえとして用いるに最適かを検討しないといけない。よく検討せずにたとえを用いてしまうと、たとえが適切でなかった場合、論理の出発点が間違っているわけですから的確な話はできません。

まとめ

  1. たとえ話は、説明を端的にする魔法ではなく、回り道である
  2. たとえ話ができるのは特殊なケースである
  3. たとえ話が特殊なケースのみで成立つことを前置き説明しなければならない
  4. たとえ話が的確であるか否かを検討せずに議論を進めると論点がどんどんずれる

特殊なケースのみにたとえ話が成立しないからこそ、翻訳する際にブレを少なくするために、この場合には成り立ち、この場合には成り立たないという長い長い前置きが必要なのだ。だから、京極夏彦の作品は長いんです。
故に、たとえ話を用いない方が分かり易いことは多い。