「無断リンク上等」なアクセス至上主義と「無断リンク禁止」なコミュニティ主義

僕も一般化したい病を発症してます><
絶対的な客観視なんてできません!というか全ての「論」は多かれ少なかれ自分語りですよ〜(逃げ口上)

男女差を例にするのは分かり易いが、男女差で一般化するのは気をよう(心構え)

文末に「今回述べたことはあくまで一般論としての話ですので」と注意書きがある。「一般論」とすると 「個人的な問題でも一般化したい病」について における一般化による説得力のドーピングではないか。つまり、「一般化したい病」。筆者の意図は「そのような傾向にある」程度なのだろうが、ある差異の理由を男女差に求めるのは本質を見誤る可能性があるので注意したい。
男女として一般化するのは(・A・)イクナイ!というか、男女という枠に囚われて本質を見逃した例として、男の服は費用計上、女の服は資産計上 というエントリを挙げてみよう。男性はできれば服に対する経費を削減したいが、女性はそうではない。その理由は男性にとって服は必要経費であり消耗品だが、女性は服を資産として計上するから、という内容。確かに、資産計上した服の数が多く、服の値段が高いのは男性よりも女性に多いかもしれないが、それは人それぞれだろう。そして、人によって費用計上するものと資産計上するものとの割合が違う。例えばオタクは趣味として買うものの多くを資産計上しているが、それは一般人にしてみれば費用でしかないので無駄だと感じる。また、グルメな人にとっておいしい食事は資産計上であるが、普通の人にとって食事は費用計上なので無駄に見える。費用・資産計上の違いは男女の差ではないという批判は、はてブ - 男の服は費用計上、女の服は資産計上 - でも見られる。
男女差で一般化できる物事もあるだろ。また、ある傾向を可視化する一例として男女差を挙げるのは効果が的な場合もあるだろう。しかし、男女よりも人に依ることの方が多いので、男女間に優位な差があるくらいで一般化するのは本質を見失っていガチだと思う。

アクセス至上主義とコミュニティ主義

さて、アクセスが少なすぎて閉鎖する男。アクセスが多すぎて閉鎖する女。 について男女以外の理由を探してみる。
先ず、

  1. 「アクセスが少なすぎる」という理由で閉鎖する人
  2. 「アクセスが多すぎる」という理由で閉鎖する人

がいるわけで、それぞれの違いは何なのか。
「アクセスが少なすぎる」という理由で閉鎖する人は

  1. 自己顕示欲求を満足させたいという純粋な(?)動機。
  2. 「アクセスとWeb上での発言力(権力)は比例する」という考えに基く権力志向。

を元にサイトを運営している。つまりアクセス至上主義。アクセス数がサイトを続けるモチベーションなので無いと続かず閉鎖。
一方、「アクセスが多すぎる」という理由で閉鎖する人はアクセスを求めない人であり、[アクセスを気にしない女]に以下のように記されている。

女性はコミュニケーションを求める生き物です。アクセス過多になると、当然読者一人ひとりとのコミュニケーションは希薄になっていきますので、それも女性が多すぎるアクセスを嫌う原因かもしれません。
できれば読者全員とコミュニケーションを取りたい。これが女性ならではの特徴なのです(※知り合いの女性管理人談)。

つまり、「アクセスが多すぎる」という理由で閉鎖する人はコミュニケーションを求める人であると。特にある集団=サイト群でのコミュニケーションを求めるのでコミュニティ主義とでも言うのか。コミュニケーションをするためにサイトを運営しているため、アクセスが増えすぎて自身の容量を超えるとにっちもさっちも行かなくなり閉鎖するのだろう。

違いをまとめると以下。

  1. 「アクセスが少なすぎる」という理由で閉鎖する人=アクセス至上主義
  2. 「アクセスが多すぎる」という理由で閉鎖する人=コミュニティ主義

コミュニティ主義者がサイトを閉鎖利する理由は、そのコミュニティを存続できなくなったから。存続できなくなった一つの理由に「アクセスが多すぎる」があるのだろう。一方、アクセス至上主義はアクセスが原動力であるからアクセスが無いと気力が無くなり閉鎖する。アクセス至上主義にとってはアクセスが第一であるから、「アクセス数が少なすぎる」→閉鎖の関係は成り立つが、コミュニティ主義にとって「アクセスが多すぎる」→閉鎖は必ずしも成り立たない。

コミュニティ主義による「無断リンク禁止」

誰も書かなかった? 検索避け(検索除け)テクニック によると同人サイトは、というか僕が見た限りではBLや801あるいはコスプレサイトの一部は「検索避け」と呼ばれる手法により、検索サイトのエンジンに拾われないように日々努力しているらしい。「検索避け」をする理由は、二次創作を原作者に見られないように、あるいはBL等一般には不快感を与える内容を広く公開しない配慮であるらしい。また、「検索避け」を講じているサイトには 「無断リンク禁止」より凄い「オンラインブックマークはご遠慮ください」 とお願いしている所も少なくない。
「検索避け」や「オンラインブックマーク禁止」はアクセスの制御、閲覧者の選別を行いたいと言う意味で「無断リンク禁止」と根が同じであろう。技術的なことを何も講じず「無断リンク禁止」を宣言するなら始めからネットにコンテンツを公開しなきゃいいと思う。また、アクセスの制御、閲覧者の選別のために「検索避け」や「オンラインブックマークを禁止」してるなら、やっぱりネットに公開すべき内容ではないのだろう。
個人的に「無断リンクを禁止したいならSNS行け!」と思うのだが、それでは無断リンクを禁止したい人達は満足できないのだろう。恐らく彼らはネットを適度に開かれ同士が集め易くこっそりやれる場として利用したいのだと思う。SNSでは敷居が高くて開かれてないので、まだ見ぬ人と出会う確率がグッと減る。しかし、素のネットは彼らにとって間口が広すぎるので「検索避け」を行ったり技術も無いのに「無断リンク禁止」とか「オンラインブックマーク禁止」とか書いちゃうのだろう。彼らは適度居心地の良いコミュニケーションの場としてネットを利用したいと考えている。つまり、ある特定の集団でのコミュニケーションに重きを置いたコミュニティ主義。
コミュニティ主義者にとって、コミュニティを存続させることが第一であるから人間関係は円滑でなくてはならない。そのために、マナーを大変に重んじる人が多い。マナーを重んじるあまり自身の属するローカルルールをどこでも通じるルールと勘違いしてる人も少なくない。また、集団の形成する各ホームページ=家だと思ってる人も多いので、他人の家に上がる時には挨拶が、またリンクする際も一言断りを入れるのがマナーであると思う人も多い。コミュニティを存続させるために、自身の意図しないアクセスを制限したいと考え、そのための「無断リンク禁止」や「検索避け」なのだろう。
ネットを適度に開かれつつ同士のみを集める場として使う事も可能で、棲み分ければいい話なのかもしれない。しかし、コミュニティ主義者はそれがいつ壊れてもおかしくない状態=準安定状態に過ぎないことを認識してない人が多いように思う。つまり、「無断リンク禁止」と書いておけば免罪符となると思っている。書いているのに「無断リンク」してきたから悪い奴だと。棲み分けと言っても、ある意味お目こぼし的な状態で存続しているのだから、誰にでも見られる状態にあると言うことを意識して欲しい。それを意識しないと、ネットで公開すべきでない内容を自ら晒す危険性がある。その危険性を認識してやってるなら問題ないんですが。

殺伐なアクセス至上主義と、村社会なコミュニティ主義

ネット文化と村社会文化で対立する常識 での村社会文化がコミュニティ主義で、殺伐系ネット文化がアクセス至上主義に対応するか。アクセス至上主義だから「無断リンク上等」で殺伐してる。一方、村社会なので村を存続させるためには色々な暗黙の了解がある。その暗黙の了解を破ると糾弾される。そして、余所の人間も村に一度入ったら村の人間だからその暗黙の了解を守らなくてはならない。でも、実際の所ネットに垣根なんか無いんですよね。どこへだって行けるし、どこだって見られる。ルールによる棲み分けは理想論でしかないと思うのですよ。よしんば、現状の法律で無断リンクが禁止になったとしても実際は無断リンクできるわけですから不健全ですよ。ルール以前に道具の機能を調整できるのだから、現実を折り合わないならその機能を変更する。つまり、理想を実現できる技術を用いる、あるいは理想郷を作った方が健全だと僕は思います。