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他人まかせのブログ整理術

僕は記事をカテゴリ分けしてません。その理由は限りなく面倒だから。

ネットの他人は人間アンテナでフィルターだ」でも述べられるように、人間ってのは、有機的に変化していくので、常に同じことに反応し、同じものを見ても同じ事を考えるわけではない。その時その時の状況によって変化していく。故に記事にカテゴリを設定しても、当時はそのカテゴリ分けで問題なかったが、後々になると、そのカテゴリでは具合が悪いことが多々ある。それは、自身のフィルタが変ってしまったから。
つまり、ブログ設定当時のカテゴリがそのままずっと使えるわけではない。適宜設定すべきだが、それは面倒。故に、僕はカテゴリ分けをしないのだ。

カテゴリ?ツリー?タグ?

ブログのカテゴリ不要論とツリー構造有用論」では、カテゴリ分けでは記事が見づらいと切り捨て、新しい模索としてブログをツリー構造にした方が良いのではないかと提起している。過去ログとして考えるなら、誰でもわかるようにキチンと分類した方が良い。その一つの方法がツリー表示だろう。ブログは時系列に並んでいるので、それをツリー状に表示するのはブログというよりもテキストサイト的あるいはwikiか。
ただ、ツリー構造にも限界がある。ツリー構造は見易くはあるのだが根本的には、分類的手間はカテゴリ分けと変らない。自身のフィルタは日々変化するので、見易さを維持するには、ツリー構造を整理整頓する必要がある。面倒の度合いは余り変らない。
ツリー構造の整理整頓の面倒さを廃しつつも、見易さも維持したのが「ツリーを廃してタグを導入 〜 ブログの過去ログ、分類学とユーザビリティ」である。複数のタグを使うことで記事的に階層構造を作り分類分けを試みている。ただこれも、未来におけるカテゴリ分け、タグ付けの変化には対応できないだろう。
僕みたいな、コロコロ変り、完璧主義を目指しつつも面倒くさがり屋にとってはあまり有用なシステムではないようだ。

評価は他人が下すので、他人のタグをあてにする

今のサイトを作った理由?それは憧れです。」でも言われるように、自分の書いたものはどこから見ても面白い。それは自分で面白いと思って書いたのだから。しかし、面白いと判断を下すのは他人である。評価は他人がするものだ。
そう考えるならば、記事の分類も他人にやってもらえば良いではないか。一つの方法としてはてブがあるだろう。はてブのユーザーが思い思いにつけたタグで記事を各々分類すれば良い。さらに、この場合、面白いエントリ程上に来るわけだ。皆が面白いと判断した記事ほど注目される。これを利用したのが、「d:id:lastline の人気エントリー」。また、より実践的に使っているのが「はてブニュース」であろうか。
ただ、他人まかせの分類分けの問題点は、数が物をいう点。故に数が少ないと機能しない。つまり、人気の無いエントリの場合ノイズばっかりで正確に分類できなくなる。はてなならキーワードを用いる手もあるけど、複数のキーワードから抽出し分類という手法も負荷がかかるでしょうね。

カテゴリ分けできないので 考えるのを止めた

-lastlineは-
2度とリアルへは戻れなかった…。
情報と生物の中間の生命体となり
永遠にはてなで記事を書き続けるのだ。

そしてカテゴリ分けしたいと思ってもできないので
そのうちlastlineは考えるのをや、他人任せにした。

参考:そのうちカーズは考えるのをやめた。のガイドライン