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ゲームによる「話」の「演出」は効果的か

ゲームがストーリーを語る手段になっている

不倒城: レトロゲーム万里を往く その61 「映画を目指した」ゲームの災厄」にて、ゲームの楽しさに関する分析で

本来ゲームは「遊び」であって、つまり鬼ごっことかかくれんぼとかじゃんけんとか、そういったものの延長線上にある存在だった筈なのだ。だから、ゲームをやって何か得るものがあるとすれば、それは「遊び」をする上で得るものである筈だ。

と考察されている。全く持ってその通りだと思う。ゲームの楽しさとは「遊び」と同じもので、漫画やアニメなどの「楽しさ」とは別物だ。「知はうごく:コンテンツ力(7−3)日本の戦略」では、オタク文化である漫画、アニメ、ゲームを同じコンテンツとして捉えている。前者の漫画とアニメはストーリーを語る小説や映画と近いけれども、ゲームはやはり「遊び」であり、本来小説や映画と同列のコンテンツではない。畑違いなのだ。
しかし、昨今の似非映画、映画もどき、映画かぶれのストーリー指向RPGのため、「近年、ゲームはいつの間にか漫画やアニメと同じ土俵に乗せられてしまった」わけだ。まぁ、これは僕が記憶している限りSFCの頃から言われているが、恐らくもっと前から言われていたことで、自身は体験してないが、本来のRPGとかVゲームRPGは派生した頃にも言われてたんだろうな。
ただ、ストーリー指向RPGが求められているのは確かで、実際にストーリーが評価されているゲームもあるし、ゲームとして良くてストーリーも良いゲームもある。その辺のゲームとしてのストーリーの語り方についての考察は、「GAMIAN(ゲーミアン)」が詳しい。

ゲームという演出

「話(脚本)」があったとして、それをどのように見せるかは演出次第。例えば、電車男。ドラマ化されたり、映画化されたり、漫画化されたり、演劇化されたりと色々な見せ方があり、それぞれの利点や欠点がある。この電車男という「話」のオリジナルが2ちゃんねるかというとそうでもなくて、2ちゃんねるでリアルタイムでやることも見せ方の一つだし、まとめログも一つの見せ方だ。電車男という「話」のオリジナルは、電車男の体験したこと(あるいは頭の中)である。電車男は「話」を見せる方法が色々ある中で、2ちゃんを使うことを選択したわけだ。つまり、2ちゃんねるという演出を使ったわけで、それは功を奏した。そのまま小説などにしたらただの「話」で、2ちゃんを介することで面白い「話」になる。
2ちゃんを介することで面白い「話」になり、そのログがまとめられることで、必要の無い所が除かれ、面白い所が誇張されるという、「話」のブラシュアップが行われる。これがさらに、ドラマ、映画、漫画、演劇となるごとに洗練され「話」として完成されていくわけです。最終的には話の「型」になるんだろうけど、それは何年も後の話(*電車男自体もある種の「型」に嵌った話ではあるんだが)。
ノベル系ゲームってのは「話」を演出する上で、ゲームを選択しているという事なんじゃないでしょうか。これはストーリー指向RPGにも言えることかもしれんが、少なくとも「話」を語るなら、ノベル系の方が適しているとは思う。僕はクリックするのが面倒なのでしませんが。
そして、「近年、ゲームはいつの間にか漫画やアニメと同じ土俵に乗せられてしまった」ってのはゲームが「話」を語る演出として使われるようになったってことでしょう。しかし、ゲームは元々遊びなんだから、果たして「話」を語る上で適切な演出になりえるのか。

ゲームの「遊び」で「話」を語るのは難しい

プレイヤーが「世界」に介在することができるのがゲームの良さ。つまり、ゲームは「遊び」があるから面白い。ただ、この「遊び」は上手く使わないと「話」を語る上でただの障害にしかならない。
ゲーム内で行動を起こさないと「話」が進まない、つまりページがめくれない分けだが、これは下手するとページをめくるためにゲームをする羽目になる。本来は、ゲームとしての面白さにより、プレイヤーが自ら進んでゲームを楽しむ過程で「話」が進行するのが望ましい。しかし、ストーリー指向RPGでは「話」に重きを置きすぎたせいか、ゲームが枷になって、ストーリーの進行を妨げる。これでは本末転倒だ。
ゲームでストーリーを語るには、ゲーム内でのプレイヤーの「行動」が「話」を進めたように見せなくてはならない。RPGでは、ボスを倒さないと先に進めない。ストーリーを進行させたいだけならば、そこまでの雑魚戦で十分にレベルが上がるように、さらにボスの弱点も戦闘中に分かるように作れば良い。この時、何の工夫も凝らさないとただの一本道だと批判される。そういわれないためには、プレイヤーに泳がせないとならない。ただし、プレイヤーは自ら泳いだと思わせて、泳がされたとは気づいてはならない。そこら辺は、DDRはプレイヤーが踊っていると思わせといて、実は「踊らされている」。これに気付くかは難易度の問題で、難しすぎても簡単すぎても「踊らされている」と気付いてしまう。
ノベル系ゲームはその能動性を上手いこと処理しており、どのルートが良かったなどの感想は他のコンテンツでは考えられないことだ。ただ、主人公の内面描写という観点から見ると、ノベル系ゲームは弱いと思う。何せ、プレイヤー=主人公でなければならないので、主人公が無個性である必要がある。そうでない場合も多々あるし、複数の主人公が登場する「マルチサイトシナリオ」なんてのもあるので一概には言えないが。ただ、ノベル系ゲームはストーリー指向RPGのように一般には求められていないような気がする。それは、ノベル系ゲームはゲームではあるんだけど、「ゲーム」としての「遊び」が少なすぎるからなんじゃなかろうか。ノベル系ゲームに関しては「ノベルゲームの分析」が詳しい。

まとめ

  1. 「ゲーム」は「遊び」の延長線上にあるもの
  2. 昨今はストーリー指向RPGが求められている
  3. そのため、ゲームがストーリーを語る手段になってきた
  4. ゲームは「話」を語る「演出」
  5. しかし、「遊び」としてのゲームが「話」を語る「演出」を阻害する
  6. ノベル系ゲームはストーリーを語る上では効果的
  7. だが、ノベル系ゲームのゲームの「遊び」は少ない

「話」を語る上でゲームという「演出」はその他のコンテンツに比べると難しい。それは、効果的な条件を得るためのバランスが繊細だから。故に、嵌れば非常に効果的である。
ただ、嵌れば効果的=条件が狭いであって、それは広くは受けないってことなんですよ。