僕たちゲーマーはいつから自ら工夫することを忘れてしまったのだろうか

ニコニコ動画で「おっくせんまん!」を歌った動画を見たら何だかノスタルジックに。歌詞は、ここにいるだれか - ロックマン2「思い出は億千万」を参考に。
youtubeニコニコ動画におけるYouTube - ロックマン2 - おっくせんまん Full ver.や、YouTube - こんなロックマンはオワタなどの動画や、理不尽ゲームである人生オワタ\(^o^)/の大冒険 for FLASHなど、ネット界隈でロックマンが流行しているのは何故なんでしょうね。

ファミコン懐古

ロックマン自体は結構難易度の高いアクションゲームだと思います。というかファミコンの多くは説明が無いので難易度が高め。そして、理不尽なことが多かったり。スーマーマリオブラザースなどは、ストーリーはあるけど兎に角右へ進むだけのゲームですし(参考:クッパはなぜ溶岩の海に落ちて行くのか スーパーマリオブラザーズ)。
最近のゲームは、グラフィックが綺麗で、チュートリアルで操作をしっかり覚えさえ、きちんとしたストーリーによりゲームを続けるモチベーションを維持し、理不尽なゲームオーバーがほとんど無くヒントも多い親切設計です。まぁ、こうでもしないと売れないのでしょうが。
こんな、親切設計ゲームしかしたことが無い人がファミコンをプレイすれば、「電速!!:ファミコンを知らない小中学生が急増中 orz」のようにファミコンはクソという感想を持つのは当たり前かもしれません。

死んで覚えろ!

AnotherSystem1983 人生オワタ\(^o^)/の大冒険\ゲームスタート」にて、考察されているように昔のゲームは死んで覚えるゲームが多いということ。魔界村なんかその代表作でしょう。先に挙げたロックマンも、自由落下中の棘の位置は死んで覚えるしかない。アクションゲームに限らず、RPGでも、ボスは一回全滅して当たり前。パターンを覚えて対策を練り再挑戦したもんだ。
純粋にゲームを楽しめた頃なら、何度ゲームオーバーになっても、何度も何度も試行錯誤を繰り返せたものです。そうして、自分で新たな操作方法や攻略方法を見つけたものです。今となっては、ゲーム自体も親切設計。さらに攻略サイトが発売日からある状況では難しいのかもしれません。

試行錯誤の先にあるもの

ゲームは本来自分であれこれ悩んで試行錯誤を繰り返してこそ面白いのですが、それにはやはり時間が必要。プレイヤー側に時間が無ければ、製作側もクソゲーと放り投げだされないためにもヒント多用な親切設計になるのは致し方ないと思う。また、攻略サイトの乱立も試行錯誤の妨げになっているような。
安易に攻略本や攻略サイトを見てクリアすると、再プレイした時にクリアの仕方が分からずに、もう一回攻略本なりサイトを見ることがあります。攻略本・サイトを利用するにも、自分であれこれ悩んで、どうしても分からない末の答えとしての攻略本・サイトを見た時は良く覚えているものです。そして、あれこれ悩んだ末に自分で答えにたどり着いた時は鮮明に覚えているものです。
面白いゲームの作り方:萎えさせない為の操作説明」にあるように、自分で気が付くことが重要で、自分で気が付くことで印象が深くなる分けです。
ただ、活字中毒R。: 「この謎は難しすぎる!」とみんなに言わせる「究極のゲームバランス」でも語られるように、絶妙なゲームバランスってのは本当に難しい。人によってプレイスタイルも様々である。何時間もじっくりプレイする人もいれば、決まった時間しか遊べない人もいる。というわけで、最近のゲームに対象年齢が表示されるように、ゲームのパッケージにお勧めのプレイスタイルとか書けば良いかもね。それを考えると、俺の屍を越えてゆけではプレイスタイルにより難易度を変更できたのは面白いアイデアだったのに、採用されているゲームは無いですね。

万人向けゲーム以外はクソゲーのレッテルを貼り、万人向けのゲームは簡単すぎと貶める

人に薦められないけど面白いRPG」というのがある。RPGに限らないが。これは、ゲームシステムに癖がありすぎて、自分は好きだけど万人向けでは無いゲームということだ。ファミコンのゲームなんてほとんどそれだと思うが。
このような万人向けじゃないゲームをクソゲーと人は呼ぶ。それは、そのゲームの面白さを気づけなかっただけなのに。また、親切設計ゲームでも簡単すぎと文句を言う。それも、自らの工夫次第で面白くなるのにね。置かれた状況で自ら工夫しない人間は、その状況だけに文句を言って自ら切磋琢磨しない人だよ。
新しいファミコンソフトを誕生日をクリスマスにしか手に入れられなかったあの時代。どんなにクソなゲームでもそれで遊ぶしかなかった。純粋にゲームを楽しめない自分が悲しい。

追記

  • ゲームは時間の無駄ですよ?
    • 補足記事書きました。どのように感じるかは読み手次第で、書き手があれこれ言う必要はないですが。意図としてはノスタルジーというか懐古です。今は今、昔は昔。今は消費の時代だから、クリアして何ぼです。