ゲームは一日一時間 子供と大人

私はまた戻ってきた - ゲームのある生活、ゲームに使える時間の感想。
高橋名人が「ゲームは一日一時間」と言ってました。大人になってから高橋名人に聞いてみた〜「ゲームは一日一時間」の真相〜によると、この言葉に子供はゲームだけでなく、いろいろなことを体験して欲しいという意味が込められているそうです。深いです。
FC、SFCの頃には、家庭にテレビが一台しかなく、しかも居間に置いてあったのでゲームをする時間が限られていたという人が多いのではないか。あるいは、ゲームのやりすぎで親にFC隠されたというのも良く聞く話。そのため、必然的にプレイ時間が限られていたように思います。ラスボスよりも、親の方が強敵という冗談もあるくらいですし。
最近の子供は良く分かりませんが、据え置きゲームは親に時間を規制されているけど、DS等の携帯ゲーム機は特制限されてないんじゃないかしらと、街中でDSやらGBAをやってる子供達を見て思います。
さて、FC、SFC世代も成長するにつれ時間を持て余し、親の目の届かなかったりで、どんどんゲームをする時間が増えて行きます。そして、大学生の頃には立派なゲームに幾らでも時間をかけるヘービーなゲーマーになります。しかし、そんな彼らも社会人ともなれど時間がなくなるので、ゲームをする時間は極端に減り、果てはゲームを卒業したりします。
学生は、金は無いけど時間はある。社会人は金はあるけど時間が無いといったもので、学生にとっては長く遊べるゲームが重宝しますが、社会人にしてみると短時間でプレイできる方がありがたい。
FC時代には、親に時間を規制されていたけど、今では自分で規制せざる得ない。ある意味、原点回帰なのかもしれません。

それにしても、世界樹の迷宮をやって見たいなー。FFみたいに、正座して仰々しいムービーを追いかけるゲームも良いけれど、今一度ゲームに重点をおいたゲームがやりたいな。