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ブログの記事が消費されるなら、何度でも同じ事を書けばいい

直列のブログと並列のテキストサイト

ブログなどに普及により、「ネット上で発言」と言うハードルがどんどん低くなっている。そのため、ある事象が起こると、それに関する記事が雨後の筍にように発生する。最近なら、紀子様関連か。しかし、その中で読まれるのは極一部で、たとえその時に多く読まれた記事でも、数年後に取り上げられることは皆無であろう。これは、ネット上での発言のハードルが下がり、以前よりもライブ性が増したが、それ故に記事が多すぎ、またブログなどの多くは記事を時系列に直列に保存していくので、過去の記事を発掘し難いからであろう。
しかし、かつてテキストサイトが残したテキストは稀に、ニュースサイト界隈で話題になる。これは、テキストサイトのテキストが並列に保存され、比較的発掘し易いためだろう。そのかわり、テキストサイトはライブ性に欠けるが。

消費されるブログ

『斬(ざん)』:消費されるブログ記事」にあるように、ブログの記事はライブ性が高いため、一度読まれたら終わり=消費される確率が高いだろう。私のように、そして結構多くの人はブログの記事を勢いで書いている(参考:記事の書き方リンク集)。勢いで記事を書く私にとっては、ブログの記事は消費されてなんぼだ。消費されないよりも、消費された方が良い。ただ、『斬(ざん)』のsouryuuseiさんの場合は、『斬(ざん)』:オレのブログ記事が出来上がるまでで述べているように、ネタを溜め込み何度も推敲して書き上げるタイプにとっては、消費されるために記事を書くのは効率が悪いかな。

消費されるなら、同じ事を何度でも

ブログの記事は消費され易い。実際、非常に秀逸な記事で無い限り、何度も取り上げられ、話題になることはない。文中リンクを多用する私自身を振り返ってみても、何度も取り上げる他サイトのエントリーって数えるほどしかないんじゃないか。
ブログの記事が一度読まれたら、二度目は無い、つまり消費されるだけなのならば、何度でも同じ事を書けば良い。同じ話題が繰り返されるたびに、自身の主張を書けば良いだけだ。同じ議論に関しても、視点や状況が違えば違う記事になる。また、時が経つにつれ、自身の考えも変わるだろうし、新しい考えが自身や他者に生まれ、それを元にすれば新しい記事が生まれる。つまり、「エントリーは常に輪廻を繰り返す」のだ。
そもそも、多くの議論は答えが永久に出ない、人それぞれの問題出る場合がほとんどだ。答えが無い故に、何度でも議論の的となる。答えは無いが、話題になる度に少しづつ良い方向に向かっていけば良いんじゃないかな。
ただし、何度も同じ事を書くとますます情報を検索するのが難しくなるという欠点もある。その為にも、過去の記事を釣り上げて参考にすることが大事なんだけど、それが心底面倒なのだ。

スローインターネット

消費されないブログ記事を書こう」というものの、実際に消費されずに何度も話題になるブログの記事はほとんど無い。あったら、色々なブロで、しかも様々な時期に同じ記事を見かけるはずだ。消費されない記事を書く努力はすべきだとけど、余程秀逸な記事を書き上げないとならない。それならば、構造上発掘し難いブログで記事を書くよりも、より発掘し易いホームページに書いた方が良いんじゃないか。こう考えると、「ネット上で発言」と言うハードルがどんどん低くなっている、においてmojio氏が言うように、昨今のスローライフと同様に、スローインターネットとしての昔ながらのホームページが復権なんて可能性も捨てきれない。

まとめ

ブログの記事は消費されてこそだろう。「ブログ進化論。」のように、消費されつつも自身のブログの遺伝子を誰かに受け継ぐことが出来れば良いんじゃないか。しかしそのためには、人の心に残る記事を書かなければならず、それは偏に「消費されないブログ記事を書こう」にあるように、ホットエントリーに媚びる記事でなく、誰かに必要とされる記事を書かないといけないのだよね。
まぁ、僕は文章のプロではないから、ネタを暖め、文章をしっかり推敲してたら文章の熱が冷めるのよね。それだったら、下手な鉄砲数撃てば当るの精神で。