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事実と意見を区別して書く

断定的になんて書けません

ブログの文章は断定的に書くべきだ」とは言うものの、自信が無いので断定的に書けません。「明日は明日の風が吹く - ブログの文章は断定的に書くべきだ(from 奥様、鼻毛が出ておりますことよ)」にてyas-toroさんが言うように私も論よりも、感想や意見を述べることが多いから、あまり断定できない。
でも実は、自身が理系論文書きであるので、「である」を多用している。多様はするが、あくまで客観的な事実と思われる事例に「である」を使うだけで、自分の考えについては、「と思う」とか「気がする」とか「だろう」などとぼかして断定することはあまりないと思う。それは何故か、自問自答してみた。

記事と感想

「記事」と「感想文」は違います。」のように、記事は事実であり、感想は主観である。自身の感想を断定するのはその人の勝手ではあるが、世の中には断定していると事実であると思う人が多い。これは、文化・真摯な科学者達「ニセ科学フォーラム」報告にある下記の一文からも判断できるだろう。

ニセ科学論者は断言できる(する)が、専門家(科学者や技術者)は“迷う人たち”だから、「絶対にありえない」という表現はできないものだ。そこに付け入られるとして、「ニセ科学」に対する科学者の社会的な発言の少なさに苦言を呈し、「科学者は、批判的な情報をブログなどでネットに発信しよう」と檄を飛ばした。

このように、誰かに自信を持って断言されると、人はそれを真実だと思い込む節がある。感想や意見を「である」と断定すると、事実であると思ってしまう人もいるだろう。だからこそ、書き手が事実と感想を明確に区別しなけれなならない。

事実しか断定できない

何か意見を書くなら、先ず事実を書かなければならない。論を吐くなら尚更。そうでなければただの感想である。ただし、客観的事実ならば「である」と断定できるが、意見は主観より生じたものだから断言できない。故に、「思う」などとぼかした表現になりがちだ。しかし、そうすることで、読み手は何が事実で、何が意見なのかを読み取り易くなる。
ただし、「断定と衆愚化」にあるように、様々な人の意見を取り入れようとする読者は、記事内の客観的事実と個人的意見を区別できるでしょう。しかしながら、そのような出来た読者ばかりではないので無用な争いを避けるためにも、自身の意見は断定しない方が良いんじゃないか。この考えは、「じゃがいも男……ポストが俺の恋人。差出人は、君!俺達に今日はいらない。燃えてる明日があるぜ!」さんの記事の書き方に影響されているのですが。

安易に信じちゃいけないのだよ

結局は読み手のリテラシーの問題で、ネットに限らず本などに書かれた文章が全て真実であると思うことが間違いなんだろう。全ての事象に疑ってかかるくらいの心意気が必要だと思う。なのに世間は「情報量が多く更新頻度の高いサイトが信用できる」と思っているようで、残念である。情報量が多ければ、それだけ間違っている確率も多くなるし、更新頻度が高ければ事実を検証する時間が無い。とは言っても、これは企業のサイトに対する調査なので、その反証は的外れなんだけど。それでも、口コミが企業のサイトに載っていれば信用度が増すってのも度し難いな。

まとめ

意見を断定するのは、すっきり爽快で分かり易いのだけど、世の中には断定すると事実であると思う人もいるので、意見はスパッと断定しない方が曲解される心配が減るんじゃないか。断定しないと歯切れは悪いが、読み手も何が事実で、何が意見なのか分かり易くなるという利点もある。
まぁ、あくまで私の決意表明みたいなもんです。