難しい事を簡単な文章に翻訳する時は、その本質を失わないように気をつけよう

自分自身の決意表明みたいなもんです。
語彙力とは難解な言葉を平易な言葉で言い換えられることで、多くの人が分かるように書こうと決意表明したけども、分かり易く書くのは難しいのです。そして、難解な概念を『平易』化するとき、気をつけるべき事(via. 独り言以外の何か)でまとめられてますが、難解な事象を平易にする際に、往々にして本質が変質、消失することがあるので気をつけないといけない。

理系離れするのは理数系の楽しさを伝えにくいからかな

家庭教師をやっていた頃、僕は理系なので算数や数学を教えることが多いのだけど、大体の生徒は算数や数学なんてつまらないと感じていた。優秀な生徒もいたけど、それは解けるだけで面白さまでは理解できていなかったと思う。そんな生徒達に、算数や数学の面白さを伝えようと躍起になり、高校生相手に博士の愛した数式 (新潮文庫)を題材にしたこともあるけれど、無限の概念を簡単に説明するのは難しく、恐らくほとんど伝わらなかったのではないか。本当に、難しいものを分かりやすく教えるのは難しいのです。これは、難しい概念及び、それを表現する難しい用語を知ってることが、相手のレベルに合わせるための障壁となっているからだろう。頭の良い人といると疲れるのは、互いに話のレベルが合わないからだろうね。
ところで、博士の愛した数式 (新潮文庫)はお話としても面白いけど、その中にある数学的な話を面白いと思った人は何人ぐらいいるのだろうか。
同様に、米村でんじろうの科学的パフォーマンスは視覚的に見て面白い。見て楽しいことも重要で、そこから興味を持つことが多いし、小学生くらいの子どもならそれで良い。しかし、高校生くらいならあのパフォーマンスの裏にある科学の本質的部分を理解して面白いと思ってほしい。しかし、そこまで理解して面白いと思っている人は多くないだろう。

教えることの難しさ

相手のレベルを知る

家庭教師に限らず、その後は仕事に関することや、PCに関することを今も人に教えたりしますがやっぱり教えるのは難しいと思います。教える際には、相手がどれくらい知っていて、何が分かっていないのかを知る必要があり、さらにその問題を解決する際に様々な方法があるが、その人にとって何がベストか判断しなければならない。OSの再インストールの方法を教えてほしいと言われても、ソフトをインストールしたことすらない初心者と、取り合えず検索してみたけど具体的に良く分からなかった人では、教える方法が全然違うだろう。
また、自身が分かっていても理解していなければ教えることはできない。例えば、問題は解けるが、それを説明できないことが良くある。これは、解法というテンプレートは分かったが、その奥に潜む本質をまだ理解できていないということだ。数学の微分積分は解けるのに、それを物理に当てはめると解けない、理解できないのは、微分積分の意味が分かっていないから。
人に教えるには、その本質を理解しないといけないし、さらにその人のレベルに合わせないといけないから本当に難しい。本当に、学ぶのは簡単だけど、教えるのって難しいなぁと思います。

1から10まで教えてはダメなのです

相手のレベルが分かったとしても、何から何まで教えてはダメなのです。宮崎駿の後進が育たないのは、監督自身が超人的だからだとか(via. 島国大和のド畜生 日記と日々の話題をつらつらと)。全てを手取り足取り教えてしまうと、その後応用が全く出来ません。つまり、1から10まで教えると、知識として根付かないのです。
1 を教えるための1000の背景にあるように、教え方は色々ある。それは人それぞれの目的による。直接的に明示するよりも、次へのステップを暗示することで、徐々に目標へ近づき成長していく。
NHKにて「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組にムシキングの開発者が出演した回がありました。ムシキングが生まれた背景なども面白かったですが、彼の部下の育て方が非常に興味深かったです。それは、ヒントは出すが気づくまで待つこと。そうすることで、その体験が自分のものとなり次に繋がる。
また、学ぶのは簡単だけど、教えるのって難しいなぁにあるが、学ぶ方の姿勢も問題で、本人に興味が無ければそれまでですが。

情報の伝達に齟齬が発生しないように

物事の本質を理解していてもそれを伝えるのは難しい。ある概念を理解していても、それを言語化し説明するのは至難の業です。なぜなら、通常ならばその概念を説明するだけで本一冊書けてしまうから。それほどまでに、物事の本質の裏には多くの背景が存在しているのです。
また、
さて、難解な概念を『平易』化するとき、気をつけるべき事はその本質を失わないようにすること。難解な概念を平易化するとは、難解な概念を簡単な文章に翻訳するということで、これは英語を日本語に翻訳する際に、齟齬が発生し易いのと同様に、その本質が変質あるいは消失することがしばし起こる。簡便に伝えるために、意訳を用いたが、その意訳が適切ではなかった、的を射てなかったことも良くあります。だからこそ、難しいことを簡単に書こうとする者は、その本質を誤って伝えないように気をつけなければならない。しかし、言うは易し、行うは難しで、そのためには相当な文章力や表現力が必要となります。
冒頭で決意表明してみたけど、僕にそんな実力あるのか。注意することは出来ても、その本質が変質、消失しないとも限らない。そして物事の本質や、その面白さは十分には伝わらないかもしれない。しかし、核心までは伝えられなくても、表面くらいは伝わるかもしれない。そうすれば少しくらいは面白さが伝わり、そのことに興味を持ってくれるかもしれない。せめて何かを知ることに対する礎になれたらと思う。