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文語の「萌え」と口語の「萌え」の断絶

「萌え萌え」言ってんじゃねぇよ

現代オタクを語る上で欠かせないのが「萌え」ですが、最近では一般にも知られてきており、テレビでオタク特集があると必ずと言っていいほど秋葉原でオタクが「萌え萌え」言いながらインタビューに答えています。「萌え」は1990年前後に成立し、パソ通からインターネットを経て1990年代後半にはオタクの共通言語へ。その後、「電車男」に始まるオタクブームと言うかアキバ系の台頭により、2005年の新語・流行語のトップ10になるというのが、ざっとした「萌え」史だと思うんですけど、ここに文化の断絶と言うか、オタクから一般に知られることで「萌え」の意味合いが大きく変わってきたんではないかと思うわけです。

「萌え」の定義ってむずかしいね

「萌え」の定義は様々で、はてなのキーワードを見ても、萌え - Wikipediaを読んでも色んな解釈があるのですが、日々の憂鬱〜2003年1月上旬〜(via. 「萌え」って何?)の言葉を借りるなら、

"萌え"とは対象への到達不可能性による絶望が予め自らの内に含まれた渇望である。

ということなんだろう。「萌え」って何?の解釈と似ていますが、「萌え」とは自分がその対象を「かわいいと思っている」とその対象ではなく、第三者に伝えるための言葉で、「自分はそのキャラクター(あるいは眼鏡などのアイテムも可)をかわいいと思う」と同じオタクに伝えるための言葉なのだろう。要するに「萌え」とは「自分が"萌え"の状態にあります」と自分の感情を一方的に宣言することなのだと思ってます。

3次元に「萌え」と使う違和感

「萌え」はその発祥は諸説ありますが、どれも書き言葉として発生したと解釈されており、その後の発展を見ても、元々は書き言葉、つまり文語であると考えられる。多くのオタクは文章中で「萌え」を知ったので、「萌え」を文語として解釈していると思われる。しかし、その後テレビなどのメディアで「萌え」が紹介されると、どうしても音声で知ることとなる。恐らく多くの非オタクの人々は「萌え」を口語的に理解しているのだと思われる。だから、テレビのインタビュー等でオタクは「萌え萌え」言っているのだろう。元々文語なのでオタクはそんなに「萌え萌え」言いません。文語を口語で言うとおかしいでしょ?
そして、非オタクの方々は臆面も無く「萌え萌え」声に出して言う。しかも、実際に実在する人間に対して、つまり3次元に対して「萌え萌え」言う。特に女性は「かわいい」の変わりに「萌え」を使う。先にも挙げたように「"萌え"とは対象への到達不可能性による絶望が予め自らの内に含まれた渇望である。」から、3次元に「萌え」と言うのはおかしい。実在の人間なのだから一言「かわいいね」と言えば良いのだ。実際に人から「萌え」と言われてもうれしくない。ここに、文語の「萌え」と口語の「萌え」に大きな隔たりがあると思うのである。つまり、メディアに紹介されたことで「萌え」という言葉が大きく歪んでしまったのだろう。

現代「萌え」

話は戻り、現代オタクの「萌え」は多岐に渡り、萌え対象、いわゆる属性が非常に多くある。妹萌えから姉萌えが、ツンデレから素直クールが派生したように、一つの属性から新たなる属性が生まれるのが一因かもしれないが、オタクが新たなる属性を見つけることに余念が無いように思える。
元々はキャラクターに対して使われていた「萌え」だけども、最近は上記のように属性に使われることの方が多い。本来はアニメのキャラクターを見て萌えていた。そして、なぜそのキャラクターに萌えるのかと考察し、キャラクターを因数分解することで萌える理由としての属性が見出された。多くの属性が見出される中で、現代ではそのキャラクターの属性に対して萌えている、本末転送した状況にある。つまり、「萌え」の対象がキャラクターから属性という記号に置き換わってしまったのだろう。

まとめ

1990年前後からオタク間で文語として発達した「萌え」。2000年代になると、口語として非オタク層にも知られるようになる。文語から口語へと変化することでその元々の意味合いも変質し、「萌え」の対象も3次元へと拡張された。それと共にオタク間においても「萌え」の意味合いが大きく変わってきている。元々はキャラクターに対して使用されていた「萌え」が知らぬ間に記号に対して使われるようになった。「萌え」が記号に対して使われることで、オタクが使っていた「萌え」にオタク自身が使われるようになったのが、昨今の姉萌えツンデレブームなんじゃないかなと思う。
「文化的女子」も似たような話なのかもしれんね。