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自身の考えを定着させるために更新する

Project::Logistica.における、お題その7「誰のために、何のために更新するのか」に対する僕なりの答え。

メモを取らない

煩悩是道場 - メモを書く事と自由な発想にあるように、メモを書くことが自由な発想を阻害してしまうことはままある。これは、メモを書くことでイメージが固定化してしまうためだろう。だから、私はメモを取らない。以前はFPN-思いついたアイデアに名前を付けて旅に出すのようにアイデアを要約しメモしていたが、結局そこからアイデアが泳がず発展することが無かったので止めてしまった。どうも自分はアイデアを記事の題名っぽく取ってしまうので、その題名に沿って記事を書こうとするから発展しないようだ。
メモをとらないと忘れてしまうが、忘れてしまうようなアイデアは結局それだけのアイデアだったわけで、もし本当に忘れてしまっても良いアイデアならばもう一度浮かぶものだ。僕自身のアイデアが浮かぶのは、脳内でまったく関連付けのなされていない、カテゴリの違う事実に共通項を見つけたときがほとんどで、丁度まったく異なる概念が脳内で衝突するイメージで、それ故メモをとり記憶や事実を外部に持ち出すと新たなる発想ができなくなるのだろう。だからメモを取らない。

説明することで考えをまとめる

メモを取らない代わりに、脳内で何度も何度も考えを成熟させる。これは自分の考えを固定化させてないからできるわけで、自分しか分からない。それこそ、そのイメージを他人に送信できたとしても絶対に理解できないだろう。そして、そのイメージは発散しており、自分でも良く把握できていないことが多い。例えば、ある数学の問題を解けてても、それを他人に説明してみるとできないことが多い。これは、分かっているけど理解はしていない状態で、完全には自分のものになってはいないということだ。そして、その問題を理解した上で他人に説明していると、自分でも気づかなかった点が分かってくることがある。これは、説明することで自分の考えをまとめているからだろう。むしろ、考えをまとめないと他人には説明できない。
だから、僕は日々考えたことを自分自身が理解するためにここにまとめている。なぜweb上なのかと言うと、チラシの裏に書いていたら自分が判るようにしか書かないから。そういう意味では、誰かに向かって書いているのだけど、それは誰なんだろう。
要するに、自分のイメージを固定化するために書いてるわけだ。そして、自分でも意外なことに、自身の考えを固定化していくと、自分でも思いもよらなかった結論や着想を得ることもあり中々楽しい。

情けは人のためならず

結構自分のためって人が多いですね。そして、自分のためだけど他人のためになり、そしてそれが自分に帰ってくる。だからやめられないんだよな。
私の場合は、メモは取らないといったけど、この場所がある意味メモみたいなもので、つまり自分のためなんだけど、そのメモを見てくれている人がいるってのは、本当にうれしいことなんですわ。