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シュレディンガーのツンデレ(量子ツンデレ)

ツンデレ流行りすぎ

VIPでツンデレが認識されて以来でしょうか、つよきすがアニメになったりと世の中「ツンデレ」だらけです。先日もYahoo!辞書にツンデレが登録されたり、はたまた女性誌にツンデレが紹介されたり。昨年は「萌え」が新語にノミネートされてましたが、今年は「ツンデレ」が!?という勢いであります。

世の中が「ツンデレ」「ツンデレ」で、高橋留美子あだち充と言った近代ツンデレからツンデレラーな私にしてみれば今のツンデレ量産態勢は嬉しくもあり悲しくもある。認知されたと言う点は喜ばしいが、これだけ流行りものとして流布してしまうと、どうしてもその形は変質してしまう。そもそも、ツンデレとはある作品に一人いればいい方であり、その希少性も価値に含まれていたと思う。ツンツンだからツンデレかといえばそうではなく、単純に嫌われているだけだったという裏切りと言う名の犠牲の上にツンデレは成り立たねばならんのである。

ツンデレ

世のツンデレブームは留まること知らずだが、俄か・生粋のツンデレラーにしてみれば、ツンデレが多すぎて食傷気味という雰囲気だ。そんな中で、興味深いツンデレ論を発見した。

ツンデレは現実には存在しない。付き合った本人は付き合って初めてツンデレだったと認識できるが、それはあくまで結果論で付き合った時点でデレに移行している。ツンデレツンデレであると認識するのは第三者的視点が必要である」と言うのである。
なるほどなと思える理屈である。さて、このツンデレは付き合う前はツンとしか認識できず、付き合った後はデレしか認識できないという状況は何かに似てるなと思ったら、量子力学不確定性原理じゃないか。
量子力学において、光などの量子は粒子と波という二つの相反する性質を持っている。光はある時は粒子的に振る舞い、またある時は波として振舞う。それは、実験をして観測するまでは分からない。むしろ、観測することが実験結果に影響を与えるとも言える。これをツンデレに当てはまると、ツンデレとはツンツンとデレデレという相反する感情を持つ複雑な性格である。ツンデレの異性と接触すると、その異性との状態により、ツンツンであったりデレデレであったりと様々である。ツンとデレの両方を一緒に体験することはできず、必ずどちらか一方である。ツンとデレが同居する状態とは、死と生どちらの状態も取りえるシュレディンガーの猫ならぬ、シュレディンガーツンデレシュレディンガーの猫は箱を開けてみるまでその生死は分からないが、シュレディンガーツンデレはその異性と接触してみないとツンかデレか分からない。まさに量子論における不確定性原理である。

量子ツンデレ

ツンデレとは不確定性原理だ。要するに恋愛における不確定性原理だ。全ての異性はツンデレである。観測することで初めてツンツンかデレデレかを認識でき、ツンツンとデレデレの両方を一緒に観測することはできない。それは、ツンツンを観測するには嫌われなくてはならず、デレデレを観測するには好かれなくてはならないからだ*1
全ての異性はツンデレであろうが、実際に目にすることはほとんど無い。量子論において、光や電子が量子的な振る舞いをするのは極めて小さいから出る。同様に考えると、ツンデレツンデレ的振る舞いをするのは、ツンデレが可能な異性のストライクゾーンが極めて小さいからではないだろうか。そのような特殊な相手ゆえに可能なのがツンデレなのであろう。

追記

超ネタ被ってた(笑)

一応言い訳。3/8なんで、時期的にはネットがそんなに出来なかった頃のはず。その記事を見たという記憶は無いのですが、タイトルぐらいはどこかで見たかもしれない。とは言うもののアリバイは無いのですが。
つーかググれ俺(笑)。以後気をつけます

*1:ツンツン、デレデレ以外は無関心、どうでも良い人、都合の良い人に分類する