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「教えて君」の発生メカニズム

知らないことを知るプロセスは色々あるでしょうが、他人の不幸は蜜の味: 頭の良い人、悪いから引用すると

1.知らないことをすぐに「知らな〜い」と言ってしまい、訊きも調べもしない人。
2.知らないことを他人に訊く人。
3.知らないことを自分で調べる人。
4.知らないことを既存の知識から推測する人。
5.知らないことを既存の知識から推測して、それから調べる人。

凡そこの5つに分類されるのではないかと思う。ただし、この「調べる」というのが曲者で「調べ方」も色々ありますが、今回は関係ないので述べない。私は主に3, 5を多用し、2は最後の手段です。例えば本屋にて欲しい本が見つからない場合、先ず自分で探してみるとその店のつくりが分かってきます。店員に聞くのは、時間が無いときか自分では見つけられなかったときと最後の手段にします。数件の本屋で同じことを繰り返すと、初めての店でも欲しいジャンルの本がどこら辺にあるが分かるようになってきます。これは他のことにも当てはめることができるでしょう。
さて、先ず自分で調べる私にとって「教えて君」はウザイ存在です。この場合「教えて君」とは2を多用する人を指します。「教えて君」は自分で調べることをしない向上心の無い人間だと言ってしまえばそれだけですが、存在する理由が他にもある気がします。
人間は、日々の生活でついつい同じ行動を実践しがちです。例えば、帰り道はたくさんあるのに帰宅する時はいつも同じ道だったり、店はたくさんあるのに馴染みの店に入ったり。自分にとって最適化されているからでしょうが、最善の選択で無い可能性も残されています。
これを先例主義の科学を参考に考えると、人間は一度行った行動・選択が再度繰り返さしがちってことでしょう。先の「教えて君」も、『知らないことがある→知る方法を考える→近くに物知りがいる→聞く→物知りが答える→問題解決』というプロセスを何度も繰り返したがゆえに「教えて君」になったのでしょう。つまり、先例主義に則ると「教えて君」は、これまで聞けば答えてくれる環境にあったために存在するのでしょう。
そうならば、「教えて君」を減らすには人にモノを聞かれても直ぐには教えないようにするべきなのかもしれません。「教えて君」に自分で考えさせる癖をつけさせるために、知らないことを聞かれても、先ず辞書で調べられるものは辞書を引かせ、本で分かるなら本を読ませ、考えて分かることなら考えさせる必要がある。時間はかかるが、精進するには時間がかかるのはしょうがないことです。そういえば、私もそんな教育方法でした。専ら放置気味でしたけども。