2050年、人間は「不死身」に=脳の中身をPC保存に関する妄想的考察

via ◆めっつぉ:スクウェア&デジタルニュース
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まさに功殻機動隊の世界ですが、人間が「不死身」ってのは語弊がある。
以下妄想的な考察。


各々の脳ごとにハードを作るというのは現実的ではないからソフト的に処理する、つまり脳の中身をPCにダウンロードして、精神をPC内でエミュレートするって感じですかね。つまり意識をエミュレートした模擬意識って感じ。
森博嗣の小説にはインターネットがより発展した未来で肉体の移動はエネルギーの無駄だから仕事や買い物など日常生活の多くをヴァーチャルリアリティで行うという話が良く出てきます。限りなく現実に近い仮想現実は人間が区別できなければ現実と相違ないと思うので、そちらのほうがエネルギー的に効率が良いなら本当の本物志向以外の人はヴァーチャルリアリティで生活することになるかもしれない。マトリックス的な世界で生活すると考えると分かりやすいかも。
それを元に考えると脳をPCにダウンロードした模擬意識は、ヴァーチャルリアリティで日常生活を行えば、肉体もエミュレート可能ってことか。つまり、模擬意識だけでも十分に人間として生きていける。なるほど「不死身」的ですね。

また功殻機動隊のように高度な義体が存在すればヴァーチャルリアリティでなくても義体に入れば日常生活ができるのか。でも義体がどんどん増えるだろうから、模擬人格はヴァーチャルリアリティで生き、普通の人間が模擬人格に会う場合はそこにアクセスあるいは、模擬人格が義体に入り現実世界に出てくるというのが現実的かな。

ところで、この模擬意識の存続する意義って何でしょう?ヴァーチャルリアリティにせよ、義体にせよ人間が不死身に生きても利益が無いと思います。天才的な人ならば意義があると思いますけど、普通の人を永遠に生かす意味がないよね。なんとなく、人間のクローンを作る意義と同じで意味がないように思いますね。この問題は、模擬意識の人権が普通の人間と同じかという問題でもあると思います。限りなく人間に近いのですが人間とは一線を駕すはずだが、意識だけを見れば完全に区別することは出来ないという点が難しいですね。


でも、模擬意識はオリジナルでは無いので自分自身が不死身になるわけではないってのはなんとも複雑な気持ちになりますけど。

永遠に生きたいとは思いませんが、なんとかしてPCにダウンロードした模擬意識と自分の意識を限りなく連続に保ちたい、つまり自分自身をPCにダウンロードしてみたい。そこで、何らかの方法で自分の脳を徐々にデジタル化することが出来ないかな。つまり、自分の意識を保ちながら徐々に脳を機械化していけば、自分自身が連続的にデジタル化されないでしょうか。ただし、自分の意識を連続的にデジタル化するためには途方も無い時間がかかるかもしれない。そもそも人間の脳は日々老化し変化するのに機械部分は変化しないので、その差異によりどうしれも連続的にデジタル化することは出来ない可能性のほうが大きいのかな。


最後に。人間は究極的に死ぬという縛り・制限があるからこそこれまで発展してきのだと思う。人間が不死身になったら、それこそ鈴木光司のリング・らせんじゃないけど世界が一様化し閉塞してしまうんじゃないか。