シン・カンソウ

50億円は行きそうですね。当然のように全力でネタバレしています。

エヴァ作れよ→シン・ゴジラ超楽しかったです!

公開前はゴジラを作るぐらいなら、さっさと「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を公開してくれと思っていた口です。
庵野監督のファンだから、なんだかんだで見るだろうとプンスカしつつ、樋口真嗣との「巨神兵東京に現る」でゴジラを再現するだろうから、特撮パートのために劇場へ足を運びたいと、やや複雑な感情を抱きつつ、公開日を迎えました。
蓋を開けたら、見た人等がネットでホクホク顔の感想を漏らしていたので、ネタバレを喰らう前に見に行かなくちゃならない事態に。ゴジラのモーションが野村萬斎とか絶対見に行かないとダメじゃないですか。

というわけで、初回はIMAXで楽しみ、二度目は石原さとみの匂い目当てて4DXで体験しました。匂いを感じられずに残念に思っていたら、別に石原さとみの匂いはしないそうで。

在来線爆弾いいよね

特撮・CGパートだけでなく、政治ドラマ部分の作り込みが半端なく。カット割りなどは、庵野監督差品のアニメをまんま実写にしており見応えがありました。伊福部昭を使っていたのも満足度が高かったです。
庵野監督は「シン・ゴジラ」で自分の作りたいモノを全力で作っていたなぁとシミジミしました。監督とっても、ファンにとっても「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のために必要な「シン・ゴジラ」だったのだなと。

2012年の夏になりますが「館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」へ行ったことが、ある意味で「シン・ゴジラ」への伏線、そして予習になるとは思ってもみませんでした。東宝の市川さんは、特撮展には触れていませんが、これがなかったら「シン・ゴジラ」は誕生しなかったかも?

異常に尻尾が長いゴジラの造形は庵野監督のこだわり。自己進化する完全生命体である点は使徒なのだろうし、熱戦は巨神兵でありラミエルのそれでした。
一番好きなシーンはやはり東京駅におけるゴジラ退治で、庵野監督やりたい放題だなと。KITTEや新丸ビルゴジラに壊され、グランド東京はゴジラをころばせるために爆破される。東宝が関係各所の調整をしたのだろうなぁと思うと胸が熱くなります。
ドローンをおとりに使うのは、まさに正しい無人兵器の使い方だし、航空機を本能で迎撃するも足下がお留守なゴジラに対して列車爆弾を使うのは見事な作戦かつ演出だなと。「新幹線大爆破」を本当にやりやがったなと。しかも二台も併走で。在来線が一斉にやってきたのも大変興奮し、このためだけに何度もIMAXで見たいなぁと。
そして東京駅庁舎に横たわるシン・ゴジラの絵も良いですね。八重洲口にあるみずほ銀行とかヤンマーのビルもしっかり映っているので、東京駅をご利用の際はガッツリ見学しましょう。

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新幹線と在来線爆弾は、東京駅の地下に沈降させるためだが、東京駅の地盤は元々ゆるい。さらに、東京駅は外観を保つために容積率を周辺の高層ビルに譲渡している。その結果、東京駅周辺に超高層ビルが増えている。地盤のゆるさ、東京駅庁舎だけ背が低く、その周辺に高層ビルが多いなど、東京駅はゴジラをころばせるには、うってつけの立地なのだ。まさに神の采配。それはもちろん、神である庵野監督が脚本でそのように導いたからだけども、ゴジラは使徒と違って東京にやって来る理由を説明しなくて良いのも、監督が好き放題で来た理由かな。

超圧縮

シン・ゴジラ」は非常に密度が濃く、圧縮された物語だ。圧縮はされているが、そぎ落とされたわけではない。先ず、セリフ回しが速い。通常は3時間程度の脚本になるという。ドキュメンタリー風なテロップでの状況説明は芸の域に達している。

小ネタも非常に多く散りばめられている。庵野監督はしばし多くのネタを詰め込む。しかも、一人の視聴者では回収しきれないほどの。昨今のSNSであれば、膨大な小ネタも集合知で回収可能だろう。
例えば、冒頭のプレジャーボートの名前のグローリー丸は、54年版ゴジラの栄光丸から来ているし、船籍番号であるMJG15041はマイティジャックの全幅と全高から。マイティジャックといえば、ゴジラ大田区呑川から遡上する際に画面右にある動物病院の看板の猫は、庵野家の愛猫であるマイティジャックとマイティサリーであるらしい。

シン・ゴジラ」は俳優陣が非常に豪華で、配役も緻密だ。この配役芸も物語の超圧縮に貢献している。俳優には適したキャラクターが個々にある。「シン・ゴジラ」では、その俳優の持つキャラクターが、劇中に登場する人物のバックボーンをほぼ説明している。たとえば、一見無能そうで昼行灯な狸親父である内閣総理大臣臨時代理となった里見祐介に平泉成 を配したり、「仕事ですから」と言わしめる統合幕僚長國村隼を用いるなど。
チョイ役であっても、色々背景が見えてきそうな配役だ。内閣官房副長官秘書官である志村祐介(高良健吾)と繋がっているジャーナリストに松尾スズキ、お茶くみに片桐はいり、警視庁長官官房長に古田新太、冒頭のアクアラインから非難する女子である前田敦子や、避難指示を請う消防隊隊長である小出恵介などなど。配役に関してはBlu-rayなどで確認しながらじっくりと楽しみたい。

エヴァの呪縛からの開放

シン・ゴジラ」によってエヴァの呪縛が完全に解けたわけではないだろうが、ゴジラだからこそ辿り着いた境地であろう。
物語には「理由」が必要だ。エヴァではその「理由」のために、衒学的に物語を構成した。その結果、魅力ある物語となったが、理由付けのために大変な苦労を強いられることになった。それが、TV版で収拾が付けられなかった一因だろうし「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が世に出ていないのもそのためだろう。
エヴァンゲリオン」では使徒と戦う理由が必要だ。「シン・ゴジラ」の場合、ゴジラなので、東京に上陸する理由を明確にする必要がない。もちろん、牧博士(岡本喜八)が呼び寄せた可能性も示唆されてはいるが、上陸後のゴジラの行動は本能によるものであろう。

観客がゴジラを知っているのが前提の脚本である。そのため、ゴジラの説明にシーンを割く必要がない。これは、脚本の圧縮にも貢献している。観客は劇中の人物よりも先を予見できる。初動で多くの閣僚等が上陸しないと楽観視しているが、観客は上陸することを知っている。
ゴジラを知っている観客は、いち早く巨大生物の可能性を疑った矢口蘭堂(長谷川博己)の側、つまり巨災対へと引き寄せられる。一方で、円谷英二もおらず、ゴジラも出現しなかった世界で矢口が巨大生物を疑った理由については、色々考察できそうだ。
巨災対において、ゴジラのエネルギー源に関する議論において、尾頭ヒロミ(市川実日子)が核エネルギーの可能性を示唆するが、安田龍彥(高橋一生)はありえないと否定する。観客はゴジラは核をエネルギー源とすることを知っており、後にそれが明らかになる。明らかになって、安田が尾頭に即座に謝罪するのは、気持ちが良く、好きなシーンです。

ゴジラの呪縛では無いけども、伊福部昭の音楽はそのままだ。得体の知れないゴジラを表現する上で、伊福部以上に適した音楽はないからだろう。ちなみに、あの不安を煽る緊急地震速報音も伊福部の音源が元になっている。
鷺巣詩郎の楽曲は主にEM20が使用されている。パンフレットによると、ドキュメンタリーでEM20が多く使われるようになったため、ドキュメンタリー調の「シン・ゴジラ」へEM20を使うことにしたのだとか。そして、その目論見は成功したと言えるだろう。

庵野監督の移し身・観客の映し身

シン・ゴジラ」は多くの謎が散りばめられているが、それらが特定できるような作りにはなっていない。想像の余地が多大に残されている。ラストシーンの尻尾にまとわりつく人型など、続編や他作品とのつながりを匂わせる謎が目に付くが、この思わせぶりな見せ方は庵野監督のいつものやり口だ。エヴァの際には心理学者などを巻き込んで謎本が多く出版された。結局その多くが自分語りだったわけだけども。エヴァと同様に「シン・ゴジラ」を考察するのは、自分自信の内面を見つめるのに等しい。「シン・ゴジラ」に散りばめられた謎や設定、ネタは感想を述べる者の鏡として作用する。

「俺の物語だ」と思わせた物語は勝ちである。庵野監督は、ハイコンテクストで読み解くのが難しいなネタをぶち込むことでそれをなしている。自分だけが見つけられた、分かった、解釈できた。このことが、ますます「シン・ゴジラ」を自分だけの物語にさせる。
といわけで「シン・ゴジラ」の感想、つまり色んな人の自分語りを読みたいのだけども、識者の方々はこの点を意識しておかないと、それこそ「シン・ゴジラ」で首相官邸に呼び出された三人の有識者になりかねない。

シン・ゴジラ」の世界で3.11は発生したのか

シン・ゴジラ」では、早くも研究者が劇中の「日本」について警鐘を鳴らしている。これも結局は、「シン・ゴジラ」の感想と言うよりも彼らからの現代日本への警鐘であろう。
日本人の理想が描かれているという指摘は同意できるのだが、「シン・ゴジラ」は「立派な指導者が出てくれば、日本はまだまだやれる」を感じさせる作品である、という辻田真佐憲氏の言説には疑問である。 この点は、矢口ら作中の政治家達が否定しているように思う。省庁間の調整に関しても困難であったことが作中で示唆されている。例えば、羽田空港の閉鎖に関して「経済的損失をあるもの」なる経産省の意向と推測される文言が即座に追加され、訂正している。このように、細かな政治ネタも良く作ってあって見応え抜群だ。

ただこの濃厚な政治ドラマだけども個人的には大きな疑問がある。

シン・ゴジラ」は「3.11を経験した現在の日本に、もしもゴジラが上陸したら」というコンセプトの元に作られたらしい。しかし、劇中で3.11が起こったのかが不明である。
3.11が発生した示唆としては、二度目の上陸における鎌倉にて、地震に対する補強のため道路工事をしている案内板などがある。一方で、防災対策や、ゴジラ放射能を有することが明らかになった際などに3.11への言及がないのは不自然だ。もちろん、配慮した脚本になっていると解釈もできるが。
仮に3.11が発生していたとしたら、政府の初動は残念に思える。一方で、シン・ゴジラの凍結こそが3.11における原発事故への希望に繋がる、と解釈もできる。

Blu-rayと脚本集を早く!

誰かに語りたくなる物語は良い物語だ。
というわけで、みんなドンドン自分語りすれば良いし、早くBlu-rayを発売して欲しいし、発生上映会を特典映像にして欲しい。また、可能ならば脚本集も出版して欲しい。